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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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parijJaa (skt.), 「徧智」とも書く。
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<big>parijñā</big> (S), 「徧智」とも書く。
  
 
 完全に知り尽くすことを言う。本来は[[したい|四諦]]の道理を余すところなく了知することを意味するが、後にはこのような徧智を智徧智と称して、これとは別に断徧智とは智徧智を因として[[ぼんのう|煩悩]]を断つことであって[[ちゃくめつ|択滅]]を[[たい|体]]とする。これは徧智の果であるが、この果にかりに因の名をつけて徧智と言ったのである。
 
 完全に知り尽くすことを言う。本来は[[したい|四諦]]の道理を余すところなく了知することを意味するが、後にはこのような徧智を智徧智と称して、これとは別に断徧智とは智徧智を因として[[ぼんのう|煩悩]]を断つことであって[[ちゃくめつ|択滅]]を[[たい|体]]とする。これは徧智の果であるが、この果にかりに因の名をつけて徧智と言ったのである。
:徧智とは貪・瞋・癡の滅である。    〔[[あごんきょう|阿含経]]〕
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: 徧智とは貪・瞋・癡の滅である。    〔[[あごんきょう|阿含経]]〕
とあるから、 徧智の語には、最初から実践的な意味が強かったと考えられる。<br>
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とあるから、徧智の語には、最初から実践的な意味が強かったと考えられる。<br>
 
 『[[くしゃろん|倶舎論]]』巻21などでは、断徧智に9徧智を立てる。即ち、四諦の中で苦・集と、滅と、道との3を見ることによって、それぞれ断たれる3類の煩悩に欲界繋と上2界繋(色界繋・無色界繋)との2種に分けて、これら6類の見道所断の煩悩の断に6徧智を立て、また欲界・色界・無色界の3界繋の修道所断の煩悩の断に3徧智を立てて、合わせて9徧智とする。
 
 『[[くしゃろん|倶舎論]]』巻21などでは、断徧智に9徧智を立てる。即ち、四諦の中で苦・集と、滅と、道との3を見ることによって、それぞれ断たれる3類の煩悩に欲界繋と上2界繋(色界繋・無色界繋)との2種に分けて、これら6類の見道所断の煩悩の断に6徧智を立て、また欲界・色界・無色界の3界繋の修道所断の煩悩の断に3徧智を立てて、合わせて9徧智とする。

2019年12月12日 (木) 14:57時点における最新版

遍智

parijñā (S), 「徧智」とも書く。

 完全に知り尽くすことを言う。本来は四諦の道理を余すところなく了知することを意味するが、後にはこのような徧智を智徧智と称して、これとは別に断徧智とは智徧智を因として煩悩を断つことであって択滅とする。これは徧智の果であるが、この果にかりに因の名をつけて徧智と言ったのである。

 徧智とは貪・瞋・癡の滅である。    〔阿含経

とあるから、徧智の語には、最初から実践的な意味が強かったと考えられる。
 『倶舎論』巻21などでは、断徧智に9徧智を立てる。即ち、四諦の中で苦・集と、滅と、道との3を見ることによって、それぞれ断たれる3類の煩悩に欲界繋と上2界繋(色界繋・無色界繋)との2種に分けて、これら6類の見道所断の煩悩の断に6徧智を立て、また欲界・色界・無色界の3界繋の修道所断の煩悩の断に3徧智を立てて、合わせて9徧智とする。