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[[じょうどしんしゅう|真宗]]は臨終来迎を必要としない。浄土宗[[せいざんは|西山派]]では阿弥陀仏の救済のはたらきを来迎という。<br> | [[じょうどしんしゅう|真宗]]は臨終来迎を必要としない。浄土宗[[せいざんは|西山派]]では阿弥陀仏の救済のはたらきを来迎という。<br> | ||
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+ | 「来迎」といふは、「来」は浄土へきたらしむといふ、これすなはち若不生者のちかひをあらはす御のりなり。穢土をすてて真実報土にきたらしむとなり、すなはち他力をあらはす御ことなり。<br> また「来」はかへるといふ、'''かへるといふは、願海に入りぬるによりてかならず大涅槃にいたるを法性のみやこへかへる'''と申すなり。 〔[[ゆいしんしょうもんい|唯信鈔文意]] p.702〕 |
2017年5月26日 (金) 18:22時点における版
來迎
pratyudyāna (S)「らいこう」ともよむ。
(もろもろの国王が)迎えに来ること。
念仏行者の臨終の際に、阿弥陀三尊が25人の菩薩とともに白雲に乗り、その死者を迎えに来て、極楽に引きとること。出かけて来てお迎えになること。それによって浄土におもむく。このことは阿弥陀仏の48願のうちの第十九願に示されている。
真宗は臨終来迎を必要としない。浄土宗西山派では阿弥陀仏の救済のはたらきを来迎という。
「来迎」といふは、「来」は浄土へきたらしむといふ、これすなはち若不生者のちかひをあらはす御のりなり。穢土をすてて真実報土にきたらしむとなり、すなはち他力をあらはす御ことなり。
また「来」はかへるといふ、かへるといふは、願海に入りぬるによりてかならず大涅槃にいたるを法性のみやこへかへると申すなり。 〔唯信鈔文意 p.702〕