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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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<big>antarā-bhava; āntarā-bhavika-skandha</big> (S)、[[ちゅういん|中陰]]・[[ちゅううん|中薀]]ともいう。
 
<big>antarā-bhava; āntarā-bhavika-skandha</big> (S)、[[ちゅういん|中陰]]・[[ちゅううん|中薀]]ともいう。
  
 [[いしき|意識]]をもつ生きものが、死の瞬間([[しう|死有]])から次の生をうける([[しょうう|生有]])までの間の時期で、霊魂身とでもいうべき身体をもつ。生まれる前の暫定的な身体。<br>
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 旧訳では「中陰」という。<br>
 またこの期間が四十九日であるという説から、人の死後七日ごとに経典を読誦し、七回目の四十九日を[[まんちゅういん|満中陰]]として死者の冥福を祈る習慣が発生し、俗には、この期間、亡魂が迷っているといわれる。
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 生存の4つのありよう(死有・中有・生有・本有)の一つ。死有(死ぬ刹那の生存)と生有(生まれる刹那の生存)との中間の存在。中有は未来に生を受けるときのありようとおなじ姿をしている。たとえば未来に犬として生まれるものは、すでに犬の形状をしている。中有の異名として健達縛・意行・趣生〔『瑜伽師地論』1、T30・282b〕、あるいは求生・意成・食香身・起〔『倶舎論』10、T29・55b〕がある。<br>
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 中有は三界のなかの欲界と色界の有情にのみあり、無色界の有情にはない。中有として住する期間については種々の説があるが、たとえば、『婆沙論』には次の四説が述べられている〔『婆沙』70、T27・360c以下〕。
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# 毘婆沙師の説。僅かな時間のあいだ住する。
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# 設摩達多の説。最大限、四十九日。
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# 世友の説。最大限、七日。
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# 大徳の説。期間に定限がない。
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: 於死有後、在生有前、即彼中間、有自体起。為至生処故、起此身、二趣中間故、名中有。〔『倶舎論』8,T29・44b〕
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: 此中有、有種種名。或名中有、在死生二有中間生故。〔『瑜伽師地論』1、T30・282b〕
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: 以在生死中間、名為中陰。〔『了義灯』1本、T43.668a〕

2025年5月1日 (木) 15:16時点における最新版

中有

antarā-bhava; āntarā-bhavika-skandha (S)、中陰中薀ともいう。

 旧訳では「中陰」という。
 生存の4つのありよう(死有・中有・生有・本有)の一つ。死有(死ぬ刹那の生存)と生有(生まれる刹那の生存)との中間の存在。中有は未来に生を受けるときのありようとおなじ姿をしている。たとえば未来に犬として生まれるものは、すでに犬の形状をしている。中有の異名として健達縛・意行・趣生〔『瑜伽師地論』1、T30・282b〕、あるいは求生・意成・食香身・起〔『倶舎論』10、T29・55b〕がある。
 中有は三界のなかの欲界と色界の有情にのみあり、無色界の有情にはない。中有として住する期間については種々の説があるが、たとえば、『婆沙論』には次の四説が述べられている〔『婆沙』70、T27・360c以下〕。

  1. 毘婆沙師の説。僅かな時間のあいだ住する。
  2. 設摩達多の説。最大限、四十九日。
  3. 世友の説。最大限、七日。
  4. 大徳の説。期間に定限がない。
 於死有後、在生有前、即彼中間、有自体起。為至生処故、起此身、二趣中間故、名中有。〔『倶舎論』8,T29・44b〕
 此中有、有種種名。或名中有、在死生二有中間生故。〔『瑜伽師地論』1、T30・282b〕
 以在生死中間、名為中陰。〔『了義灯』1本、T43.668a〕