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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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(仮設 or 仮説)
 
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upacaara (skt.)
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 仮に名称を設定して、説明する対象を指示する。
 
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 upacaaraは、構成要素の集まりに対して比喩的に特定の表現を適用することで、そのような表現そのもの、あるいはまたその対象となる仮構存在を意味することもある。<br>
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 upacāraは、構成要素の集まりに対して比喩的に特定の表現を適用することで、そのような表現そのもの、あるいはまたその対象となる仮構存在を意味することもある。<br>
 『[[ゆいしきさんじゅうじゅ|唯識三十頌]]』で、[[せしん|世親]]は、「自我と諸要素(法)の仮説」を論じて、いずれも比喩的、第二義的にそのように表現されるにすぎないことを論じている。第一義的には非存在であると説明している。
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 『[[ゆいしきさんじゅうじゅ|唯識三十頌]]』で、[[せしん|世親]]は、「'''自我と諸要素(法)の仮説'''」を論じて、いずれも比喩的、第二義的にそのように表現されるにすぎないことを論じている。第一義的には非存在であると説明している。

2017年4月21日 (金) 02:47時点における最新版

仮設 or 仮説

upacāra (skt.)

 仮に名称を設定して、説明する対象を指示する。

 upacāraは、構成要素の集まりに対して比喩的に特定の表現を適用することで、そのような表現そのもの、あるいはまたその対象となる仮構存在を意味することもある。
 『唯識三十頌』で、世親は、「自我と諸要素(法)の仮説」を論じて、いずれも比喩的、第二義的にそのように表現されるにすぎないことを論じている。第一義的には非存在であると説明している。