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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
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2017年4月21日 (金) 02:47時点における最新版
仮設 or 仮説
upacāra (skt.)
仮に名称を設定して、説明する対象を指示する。
upacāraは、構成要素の集まりに対して比喩的に特定の表現を適用することで、そのような表現そのもの、あるいはまたその対象となる仮構存在を意味することもある。
『唯識三十頌』で、世親は、「自我と諸要素(法)の仮説」を論じて、いずれも比喩的、第二義的にそのように表現されるにすぎないことを論じている。第一義的には非存在であると説明している。