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+ | 〈唯識〉では、身・語・意の3業からなる稽首・敬礼・礼拝とは相違するとされる。<br> | ||
+ | 「仏法僧に帰依す」「唯だ如来のみ真の帰依する所なり」「無余依滅を復た帰依と名づく」 | ||
+ | :帰依者、帰敬依投之義、非此所明。若云伴談、或云伴題、此云稽首、亦云礼拝、亦云敬礼、訛名和南。 〔『義林章』4,T45-316b〕 |
2019年3月9日 (土) 20:49時点における版
帰依
śaraṇa शरण (S)
サンスクリット語の「śaraṇa शरण」は、保護所・避難所というである。中国語には「依帰」という言葉が『書経 』に出てくる。これは「頼りにする」という程度の意味である。
訳語としての帰依は,勝れたものに対して自己の身心を帰投して依伏信奉することをいうから、そのまま信仰という意味である。
「自帰依自灯明、法帰依法灯明」(attadīpo attasaraṇo dhammadīpo dhammasaraṇo (P))という場合の「帰依」は、まさに信仰という意味である。
仏法僧の三宝に帰依することを、三帰依(さんきえ、tisarana (P)、tri-śaraṇa (S))といい、これは仏道に入る儀式にも用いられ、しばしば音楽法要にも使われる。
- 南無帰依仏 buddhaṃ saraṇaṃ gacchāmi बुधँ सरँ गच्छामि
- 南無帰依法 dhammaṃ saraṇaṃ gacchāmi धम्मँ सरँ गच्छामि
- 南無帰依僧 samghaṃ saraṇaṃ gacchāmi सम्घँ सरँ गच्छामि
空海が「仏法の殊妙を聞かば,必ずよく帰依し信受すべし」と『十住心論 』に述べているように、帰依することと信受することは同意である。
〈唯識〉では、身・語・意の3業からなる稽首・敬礼・礼拝とは相違するとされる。
「仏法僧に帰依す」「唯だ如来のみ真の帰依する所なり」「無余依滅を復た帰依と名づく」
- 帰依者、帰敬依投之義、非此所明。若云伴談、或云伴題、此云稽首、亦云礼拝、亦云敬礼、訛名和南。 〔『義林章』4,T45-316b〕