さんてんじゅうにぎょうそう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
三転法輪十二行
「三転十二行相」と初期経典では言う。
これに2種がある。
一に教の十二、四諦の一々に示勧証の三転があって、十二の教法となるもの。
二に行の十二、三転の一々に眼智明覚の4種の智を生ずるもの。若しこれを四諦各別に論ずれば48行あり。眼智明覚とは見道の十六心の中、四法智忍を眼とし、四法智を智とし、四類智忍を明とし、四類智を覚とす。これ見道について解す。又、眼は観見の義、智は決断の義、明は照了の義、覚は警察の義(以上の2義は『婆沙論』)。又眼は総体の智に名づけ、智明覚の3は次第のごとく果現未を知るのに名づける(慈恩大師の義)。
この後の一義は見修無学の3道に通じて解釈する。
- 眼は謂わく法忍智。智は謂わく諸の法智。明は謂わく類忍智。覚は謂わく諸の類智なり。復た次に眼これ観見の義。智これ決断の義。明これ照了の義。覚これ警察の義。〔大毘婆沙論79、T27.0411a〕
この2種の十二の中に十二行法輪(法華経)、十二行相(倶舎論)と言えば行の十二をもって解釈するのを本義とする。天台の文句は教行の2義を挙げるが、『倶舎論玄賛』は単に行について解釈している。