ぎえん
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義淵
- 728年。奈良時代、法相宗の僧。大和国(奈良県)高市郡の人。俗姓は百済王の子孫市往(いちき)氏(または阿刀(あと)氏)。
両親が観音菩薩に子授けを祈ったところ、柴垣の上に置かれていたという。
出家して法相宗の第三伝智鳳に教えを受け、703年(大宝3)僧正に任ぜられ、仏教界の最高責任者となった。とくに興福寺系法相宗の中心をなし、社会事業に活躍した行基、法相宗第四伝となった玄昉、華厳宗を開いた良弁、このほか宣教(せんきょう)、隆尊(りゅうそん)など多くの弟子をもつ。
竜蓋寺(りゅうがいじ)(岡寺)、竜聞(りゅうもん)寺、竜福寺、竜泉寺、竜象寺など五箇竜寺の開山で、元正天皇・聖武天皇の代に宮中の内道場に仕え、その功により市往氏に岡連(おかのむらじ)の姓を賜った。