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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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不回向

 本来は、浄土往生の行ではない雑行(念仏以外の行)は、回向しなければ往生行とはならないが、称名念仏(選択本願の念仏)は阿弥陀仏が往生行として選定した行であるから、回向する必要がないということ。
 法然聖人は『選択集』に

第四に不回向回向対といふは、正助二行を修するものは、たとひ別に回向を用ゐざれども自然に往生の業となる。〔選択集 p.1197〕

と述べている。親鸞聖人は、この説をうけて、回向の主体を行者ではなく阿弥陀仏とする他力回向(本願力回向)の教説を確立した。『行巻』には

 これ凡聖自力の行にあらず。ゆゑに不回向の行と名づくるなり。〔行巻 p.186〕

とある。『正像末和讃』には

真実信心の称名は 弥陀回向の法なれば 不回向となづけてぞ 自力の称念きらはるる〔正像末和讃 p.607〕

とあり、『国宝本』の左訓には

行者の回向にあらずとしるべしとなり

とある。