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しょぶつしょうようのがん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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諸佛稱揚願

 諸仏に称揚せられんことを誓へる願の意。阿彌陀佛四十八願の第十七。また諸佛稱歎願、諸佛同讃名字願、爲諸佛讃願、諸佛咨嗟願、諸佛稱名願といい、あるいは単に第十七願ともいう。
 『無量寿経』巻上に

 設し我れ佛を得たらんに、十方世界の無量の諸佛悉く咨嗟して、我が名を稱せずんば正覚を取らじ

と言えるのがこれである。これは阿彌陀佛が成仏したのち、十方無量の諸佛のために咨嗟称揚せられんことを願じたるを言うのである。
 また『無量寿経』巻下に

 十方恒沙の諸仏如来は、皆共に無量寿仏の威神功徳の不可思議なることを讃歎す。(中略)無量寿仏の威神極まりなし。十方世界の無量無辺不可思議の諸仏如来は称歎せずということなし

と言い、『阿弥陀経』に

 我れ今阿弥陀仏の不可思議功徳を讃歎するが如く、当方に亦阿閦鞞佛、須弥相仏、大須弥仏、須弥光仏、妙音仏あり。是の如き等の恒河沙数の諸仏各其の国に於て広長の舌相を出し、徧く三千大千世界を覆うて誠実の言を説く

等といえるは、皆彼の願成就の相を説けるものにして、即ち十方の諸仏が悉く阿弥陀仏を称讃することを明らかにせるなり。

 了慧の『無量寿経鈔』第三に、その義を釈し

 所見の土の中に、或いは教主ありて諸仏の為に悉く讃嘆せられず。或いは教主ありて広く諸仏の為に咨嗟せらるるが故に名十方に聞こゆるあり。法蔵便わち名称普く聞えて衆生を利せんと欲するが故に、此の願を選択して仏身を摂するなり。六八の願の中に、此の願至要なり、設ひ弥陀仏に超世の願あるとも、若し此の願なくんば何ぞ十方に聞えん。我等今往生の教に値ふは徧へに此の願の恩なり

と言えり。以て当願発起の所由を見るべし。
 然るに親鸞はこの願を以て往相回向の真実の大行を願じたるものとなし、其の著『如来二種回向文』に

 往相の回向につきて真実の行業あり、真実の信心あり、真実の証果あり。真実の行業といふは、諸佛稱名の悲願にあらわれたり

と言い、又『顕真実行文類』に

 諸仏称名の願。浄土真実の行、選択本願の行なり。謹んで往相回向を按ずるに、大行あり大信あり。大行といふは則ち無礙光如来の名を称するなり。斯の行は則ち是れ諸の善法を摂し、諸の徳本を具せり。極速圓満す、真如一実の功徳宝海なり。故に大行と名づく。然るに斯の行は大悲の願より出でたり、即ち是れ諸仏称揚の願と名づく。復た諸仏称名の願と名づくべし。亦選択称名の願と名づくべきなり

と言えり。是れ第十八願を真実信心の願となすに対し、当願を真実行業の願となせるものにして、親鸞独特の解釈なりといふべし。