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きんぶせんじ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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金峰山寺

 金峰山修験本宗、総本山。奈良県吉野郡の大峰(おおみね)を山上(さんじよう)、吉野山を山下(さんげ)とし、その 総称。
 役ノ小角が開いたと伝える修験道で、平安中期には神仏和合の思想から栄え、聖宝・日蔵が出て皇室の尊信も厚く藤原道長も登山参拝した。実力を持って吉野衆と称して高野山とも争い、僧坊100余を数えた。源義経が入山し、ついで後醍醐天良を迎えて吉野朝を立て、1348(正平3)後村上天皇が賀名生(あのう)に遷幸されるまで10余年間皇居の地であった。

 江戸時代には日光輪王寺の支配下で振わなかったが修験道の中心道場であった。本堂は蔵王堂で仁王門とともに1456(康正2)の再建。桁行5間、梁間6間で一十裳階付き、入母屋造檜皮葺。正面・側面・高さともに26~27mの大建築で、裳階の柱は吹放しにし、内部には、仕上げない長大の柱が林立する。宿坊には、桜本坊・喜蔵院・竹林院(庭園は群芳園)があり、付近には吉野朝の遮跡が多い。