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くおんじつじょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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久遠実成

 日蓮宗では「くおんじじょう」ともよむ。
 真実の仏は、久遠の昔に実に成仏している、の意。久遠の昔からの成仏。歴史的人物としての釈尊が、実は久遠の昔に成仏していたということ。釈尊は永遠の昔から根元的なさとりそのものである、という立場で説く。

 釈尊の成道はブッダガャーにおいてはじめて実現したことではなくて、永遠の昔に成仏しているということ。『法華経』の後半十四品(本門)の中心思想。ブッダガヤーの菩提樹の下でさとりを開いて仏となった伽耶始成(近成)の釈尊は、仮のすがたであって、実は永遠の過去においてさとりを開いて成仏し、それ以来、限りない時期の間、人びとを教化してきたので、これを久遠実成の釈迦という。久遠本仏・無始古仏ともいう。『法華経』の本門の如来寿量品第十六に説かれる。

 阿弥陀仏にも応用されて、十劫の弥陀に対して、久遠の弥陀が説かれてくる。
 久遠実成の思想は、釈迦仏の本体であるさとりの内容、すなわち法が永遠常住であることにもとづくが、実際は釈尊に対する弟子たちの追慕心の高まりによって発生したものといえる。

 仏教は、本来真理(法)に対する信仰であり、釈尊は、自己なきあと、法にたよることを遺言したが、弟子たちは釈尊という人格を通して仏法を信奉していたので、釈尊なきあと、釈尊の残した法だけでは満足できず、彼の人格を追慕し、さらには釈尊に代わる仏を求めた。その結果、種々の仏が立てられたが、『法華経』にきて、それらが釈迦仏に帰一され、釈迦仏の永遠不滅が説かれるにいたった。〔開目抄543〕

久遠実成阿弥陀仏

 阿弥陀仏は実は永遠の昔に成仏していた、という意。前項参照。

昔よりまことに阿弥陀仏となりたまへるなり。〔『真宗聖教全書』5-14〕