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くおん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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久遠

 今日、世間で用いられる永遠ということばと混同されているようである。ことに、仏教では無量といわれるものを永遠といったり、永劫というのを永遠といったりしているが、それは注意を必要とすると思われる。というのは無量寿とは数え量ることのできない生命ということであって、そのまま永遠の生命と同義ではない
 永遠ということばには時間の無限の持続、時間と無関係であること、時間を超越していることなどの意味が考えられ、このことばは英語の「eternal」の訳語としては適当のように思われるが、仏教のように、あくまでも因縁生滅する現実、そのものに立場をとって、時間をこえて永遠なものを考えないものには、あまり的確な思想表現のことばとはいいにくい。
 久遠ということばは、たとえば阿弥陀仏について久遠実成〈くおんじつじょう〉の実相身たる仏をいい、また『法華経』にも久遠の仏を説く、しかし、だからといって、この仏は永遠の仏というかというと、それは無始無終という意味の永遠ではない。これらの点で、久遠ということばの意味について、仏教の立場と、そこに示される時間の意味をしるべきであろう。