操作

にくう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2024年8月24日 (土) 16:45時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「=二空=  生空と法空。人空と法空。我空と法空。<br>  生空(人空・我空)とは生命的存在が実体として存在しないこと。法空...」)

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

二空

 生空と法空。人空と法空。我空と法空。
 生空(人空・我空)とは生命的存在が実体として存在しないこと。法空とは生命的存在を構成する諸要素は存在しないこと。生空を人空・我空ということがあるが、人空といえば五趣のなかの人のみに限られ、我空といえば我は法にも通じるから、いずれの表現も問題があり、生空というのが適切であると『述記』や『演秘』で解釈されている〔述記1本、T43-234c〕〔演秘1本、T43-816a〕。
 二空のなか、大乗は生空と法空の二つの空をさとるから、生空のみをさとる小乗より勝れていると主張する。

 法無我所顕の真如を理体と名づく。生空所顕の辺は是れ真如の上の差別の義なり。二乗は唯だ生空の差別を知り、法空の理体を証せず。