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いんどぶっきょうし

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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インド仏教史

紀元前5~4世紀

都市と王権と自由思想

 インドにおけるアーリア人の東進が一段落し、彼らがガンガー河の肥沃な平原に定住したのちは、経済生活が向上し、多数の都市が生まれた。これらの都市を中心とした群小国家は次第に強力な王国に併合され、紀元前5世紀ころにはコーサラ、マガダ、アヴァンティ、ヴァンサの4大国が栄えた。これらの国では壮大な都市が営まれ、王族の権力と商工業者の実力が増大し、これまでのバラモン(司祭階級)を最上層とする階級制度はゆらぎ、ヴェーダ文化の権威も疑われて、自由思想家が輩出するに至った。懐疑論、唯物論、快楽主義なども勢いを得た。また、出家遊行しながら禅定を修め、真理の探究に努める人、沙門 śramaṇa も多くなった。ジャイナ教や仏教の開祖もそのような沙門のひとりである。

ゴータマ・ブッダ

 ヒマラヤ山麓に小国を成し、カピラ城に都していたシャーキャ族 Śākya の王子シッダールタ Siddhārtha は、ルンビニー園(現在のネパールのルンミンディー)に生まれた。成長後、ヤショーダラー Yaśodharā を妃とし、一子ラーフラ Rāhula をもうけた。
 しかし、人生に対して懐疑をいだき、29歳(一説に19歳)で出家し、諸国を遍歴してヨーガや苦行に努めたが、それらに満足せず、ついにブッダガヤー(現在のボードガヤ)の菩提樹下に瞑想して最高の境地に達し、覚めたる者、仏陀 buddha となった。そして、鹿野苑(現在のサルナート)での説法をはじめとして伝道を開始した。
 現在のビハール、ウッタル・プラデーシュの2州にあたる地域を主として教化活動を行ない、短期間のうちに多くの弟子と在家信者の帰依を得た。
 45年間にわたる伝道ののち、クシナガラ(現在のカシア)において80歳の命を閉じた。遺体は火葬にされ、遺骨は信者の手によって分骨され、8箇所に建てられたストゥーパ(塔)に納められた。

仏陀の没年

 仏陀の没年については、カシュミールの説一切有部の Sarvāstivādin, Vaibhāṣka の所伝を根拠にして計算した紀元前383年の説や、セイロン上座部 Theravāda の所伝をもとにした紀元前485年の説がある。その他前478年など、数種の有力な異説が現代の諸学者の間にあって、学問的にはまだ決着をみていない。