かいいんざんまい
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海印三昧
波一つない広大な海に、宇宙のすべてのものごとが写し出されているのとまったく同じ静かな安らかな境地のこと。
Gotama Buddhaの目覚めのときに入っていた境地、だと『華厳経』に説かれている。
海印三昧というのは、じつは、紀元前8世紀ごろに、ヴェーダの宗教の伝統のなか、シヤーンディリヤという人が瞑想で得た体験に源を発すると考えられている。
シャーンディリヤの説では、瞑想の極致においては、自己を自己たらしめている本体的原理アートマン(我)と、あらゆるものがそこから流出してまたそこへと還流していく世界の根本原理ブラフマン(梵、つまり世界の本源であることば)とは、まったく同一のものとして体験できるとする。
海印三昧というのは、こうしたインド一元論哲学の基礎となった梵我一如体験と、本質的に同じである。華厳経典の解釈では、ゴータマ・ブッダの目覚めのときの体験は、宇宙との合一体験であることになります。この解釈は、のちに密教において格段に強調されるようになり、今日でも、目覚め(悟り)とは、宇宙との合一を体験することだ、そして、目覚めのときに発見した真理(法)は、宇宙の理法にほかならないとする。
このように、華厳系の大乗仏教には、ヒンドゥー教の一元論哲学からの影響が濃厚にある。