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しゅりょうごんざんまいきょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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首楞厳三昧経

Śūraṃgamasamādhisūtra (S)

 直訳すると「英雄的な行進の三昧」と言う経典は、2世紀の初めには成立していたと考えられる大乗経典である。サンスクリット本は散佚して、ごく一部分が断片として遺っている。経録では、9回漢訳されたと伝わっているが、鳩摩羅什訳の『首楞厳三昧経』2巻(大正蔵経 No.642)一本のみである。チベット訳本は『東北目録』(デルゲ版)No.132、『大谷目録』(北京版)No.800(「影印北京版西蔵大蔵経」Vol.32)である。

内容

 『首楞厳三昧経』は、人間が求道してゆくうえにおいて、すなわち菩薩としての経歴において、首拐厳三昧こそはそのあらゆる活動の源泉力となることを説くものである。全篇を通じて、ドリダマティ(Dṛḍhamati)菩薩、すなわち漢訳の堅意菩薩が質問者として登場し、最後に近づいて彼もまた首拐厳三昧の体得者となる。仏陀は、彼の質問に対して一々懇切に解答を与えるが、仏陀のほかに弥勒や文殊などの菩薩、舎利弗や阿難などの仏弟子も登場し、ことにこの経の特色と思われるのは、種々のすぐれた天子たち、シャクラ(帝釈天)やブラフマー(梵天)などの神々、さらに魔王までも登場して、彼らの間に、また彼らとドリダマティとの間に、多くの対話が展開されることである。『維摩経』ほどにドラマティックではないが、これらの対話の間にはすべてきわめて美しいものが閃いている。
 最初、仏陀が説法を開始されるに当たって、神々や天子たちはその説法の座を設けようとする。仏陀の坐る場所であるから、それは獅子座と呼ばれるのであるが、そこではじめて「首楞厳三昧」の名が説かれることになる。彼らはひとりぴとり、立派に飾られてかぐわしい香りを放つ獅子座をつくるが、自分以外の者が同じく獅子座をつくっていることを知らないし、また見もしない。そこで仏陀は、即座に自ら分身して無数の仏陀となり、それらの無数の獅子座の一つ一つに坐する。すると、彼ら天子たちや神々は、自分の獅子座にだけ仏陀が坐られたと思い、自分が仏陀と一対一に向かいあって説法を聞くのだという思いに感激する。
 この奇蹟的な情景は、すぐ『維摩経』の「一音説法」(第1章第10節、および詩頌〔10〕以下)の思想を思い起こさせる。それを個別化の原理とでも呼んでよいのであろうか。「一音説法」とは、仏陀が一つのことばで、一つのことを説法したにもかかわらず、聞いている人々はそれが自分と同じことば(方言)で語られ、自分にだけ向かって語られていると思うのであって、これが仏陀にのみ見られる特有の相であり奇蹟である、と経はいう。仏陀は、万人の救いを万人に向かって説いた。しかし、その普遍的な救いは、実は個別的に受けとられなければならない。あるいは個別的に真実が受けとられるからこそ、普遍的な真理となるともいうべきであろうか。そこには親鸞が「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり」(『歎異抄』)と言った、最も深い宗教的刹那、宗教的実存にも通ずるものがあると思われる。
 右のような宗教的実存の意味で、個別化の原理ということが許されるとすれば、それは普遍を背にした個であり、「空性」の世界にありながら現実のこの世界にとどまることである。獅子座の話は、単に一つの装飾的なエピソードにすぎないが、そこにも右の個別化の原理は見られるであろう。そして、この獅子座の奇蹟の物語は、すでに「首楞厳三昧」の世界がそこに展開されつつあることを示すものである。
 その「首楞厳三昧」がいかなるものであるかを、経は第12節以下に詳しく説いている。まず、その特質が103句をもって述べられ、ついでほぼ同じ内容が58の詩頌で再説され、最後にこれがあらゆる善を集約し、あらゆる徳をそなえるといって結んでいる。
「三昧」というのは、心の平静なること、心に波立ち騒ぐことがなく、あらゆる注意力が 静かにくまなくゆきわたることである。これが真の知恵の源泉となるものであって、禅定に導かれて般若の知恵が生まれ、止によって観がある(止観)ということは、仏教に一般的な考え方である。しかるにここでは、第二章において見られるように、首携厳三昧は禅定や般若を含む六つの完成行(パーラミター)の最後に到達される、より高次の徳とされている。「三昧」をある意味で最高の徳目として称揚する経典は多く、本経はその随一である。そして、各種の三昧の名が諸所に列挙されるとき、ほとんどきまってこの「首楞厳三昧」が最初にあげられるのは、右のような高い意味がそこに見出されるからであろう。
 その「首楞厳」という文字は、シューランガマ(śūraṃgama)という原語の音訳にほかならない。雪国巳遅日四は、おそらく「勇者として進み行く者」、すなわち「菩薩」のあり方を意味するものと思われる。ラモット教授は、「この三昧によって、なんの障害もなく随所に英雄のように進むこと」、あるいは「勇者たちによってそれらの障害が乗り越えられたこと」であるという。漢訳では「勇行」とか「健行」などと意訳されることもあるが、多くは音訳の「首拐厳」が用いられている。語義的になお十分明らかでない点もあるが、とにかく一応ここにはこの語を「英雄的な行進」と訳することとした。
 その行進は、しからばはたしていずこへ向かっての行進なのか(第70節以下)。一般的にいえば、それはもちろん浬藥をめざすものであり、あるいは法性・法界・空性の世界へ向かっての行進であろう。しかしここでは、単に空性へ向かうだけではなく、人間のこの現実の世界へ立ち帰ることも意味しているように見える。あたかも須弥山の頂きに立って見はるかすような知(第50節)としてもそれは述べられているが、菩薩の二大徳目としての知恵と慈悲のうち、この経典はむしろ慈悲を前面に打ち出しているといえよう。先に述べた言い方からすれば、単なる普遍的な真理への行進ではなく、個別化の衆生の世界への復帰がそこにはある。菩薩の行進とは、菩薩の行為なのであり、それは涅槃と生死とのいずれをも否定して「中道」に立つことである。単に死することではないばかりでなく、単なる惰性的な生、業の結果としての生に纒綿することでもない。あえて、菩薩としての願によって、この汚濁の生、魔界にも比すべき生のなかに身を挺してとびこむことである。このような菩薩の行為には、勇者としての危機的な決断が伴っている。はるかに見通す知に導かれながらのこの菩薩の行進――それが可能となる場所が、この「英雄的な行進と名づける三昧」であると理解してよいのではないかと思う。
 いずれにせよ、経はその全巻にわたって、この英雄的行進の三昧の性格を明らかにしようとする。いろいろの角度から、その徳について述べ、その威力や奇蹟についてくりかえし語っている。たとえば、弓術の達人が熟練の結果として、的に眼を注がなくても、あるいは暗闇のなかでも、さらにただ音が聞こえただけでも、矢を的中させることができる。それと同じように、英雄的な行進の三昧の体得によって、菩薩の行為は電光一閃の間に機 をとらえて的を射ぬくのであるという(第47〜48節)。
 菩薩の行為は、しかし、このような危機的な行動のみではない。菩薩は、説法において偉大な霊感の持ち主である。彼はそのばあい、「われが説く」「彼に向かって説く」というようなあらゆる観念を離れている。菩薩の説法とは、宇宙全体が説法しているようなもの――あたかもこだまが大空に響くように、それは宇宙の声としてある。虚空にはこだまの音を発生させる性質がある(第74節)が、虚空に「われが説く」「この文字を用い、この概念を説く」というような考えがあるわけではない。菩薩はいわば「無立場の立場」(第73節)に立つ者であり、ただものの本性に順うことによって、「無立場の立場」がそのままで声となり、ことばとなってこだまするのである。したがって、菩薩には「何を説こうか」と考えたり、「どのように説明すべきか」と検討したりする必要もなく、無為自然 に説法の弁才がそなわっている(第三七節)。このことが「英雄的な行進」と名づけられ るものにほかならない。 この経で特に気のつくことは、ただ仏陀の最高の境地、理想的な世界を説くだけではな く、現実の身近な世界に関心が寄せられていることである。前述のように、普遍的な原理 よりも個別の真理に、勝義の世界の知よりもむしろより多く世俗の世界の方便・慈悲に関 心が寄せられていることである。たとえば、この英雄的な行進の三昧を体得するためには、「凡夫の諸徳性を培うように励むべきである」(第六九範とずばり言いきっている。釈尊の一代の行状――それがすべての仏陀の典型にほかならない――は、しばしばこの経のなかにとりあげられている(第122節など)が、若き日の釈尊の宮廷における歓楽の生活も問題とされている(第59〜61節)。その菩薩としてのシャーキヤムニは、すでに英雄的な行進の三昧を得たかたなのであり、それゆえに単に王宮の快楽を追い、世俗の王位を望んでいるのではなく、衆生救済のための方便としてそのような姿をとるのであって、別の世界ではそのときもなお法を説いている仏陀なのである。このように他方の世界で仏陀として法輪を転じながら、この世界では人間釈迦として肉体を具現しているという奇蹟こそ、英雄的な行進の三昧の徳にほかならない、という。
 美しい肉体の持ち主となることは、昔も今も、世俗の人間的な願いであろう。メールシカラダラという帝釈天は、前述のように全世界を見通す知を有するが、それだけではなく、輝くばかりの最高に美しい肉体の所有者でもあった(第53節)。それはあらゆる神々の理想なのである。しかし経は、英雄的な行進の三昧を失っている衆生には、美しく整った肉体も容色もなく、もしそれを求めるならば、最高の菩提に向かって発心せねばならない、と説いている。経はさらについで、女性の身体から男性に変身した天子の物語をあげる(第58節)が、女であるか男であるかは仮現にすぎない(『維摩経』第6章第15節)と説くとともに、しかも女から男への変身は「夫に対して誠実であり、敬愛の念をいだいて仕えた」たまものであるとも教えている。これらの例はすべて、世俗の人間的生活への経の関心を示し、世俗の生活に対する勝義的・空性的なものによる裏打ちがめざされているといってよいであろう。  同じくこの方向において、特に興趣深く感じられるのは、魔の出現とそれに対応する魔界行不汚菩薩の登場である(第87節)。この菩薩の名は、本訳では単に「魔界菩薩」と略称したが、実は「魔界にありながら、しかもそれに汚されることがない」の意味である。魔は仏伝にもしばしば登場し、先の『維摩経』にもあらわれている。魔とはここではいろいろの誤った考え、謬見を指すのであり、いつも仏陀の説法を欲せず、またそれを邪魔しようとする。したがって、真理をひたかくしに隠そうとするのが魔界であり、われわれの現実の世界にも、そのような光景が多く見られる。浄界ならいざ知らず、「魔界にありながら、しかもそれに汚されない」ことは、最も困難なあり方であり、ただ勇者のみがあえてなしうるあり方である。「英雄的な行進の三昧」を得るとは、このような魔界行不汚菩薩であることにほかならない。この魔界菩薩も、前述と同じように、美しく整った肉体の持ち主であった。それを見て、二百人の魔界の天女たちが恋慕する(第93〜94節)。その恋慕を通して、ついには彼女たちにも救いがあるのであるが、ただ魔王だけはきわめて好詐にたけ、偽って発菩提心したかのごとくに見せかけたりする。しかし、仏陀はそれに対して、この魔の似て非なる発心さえもが、やがて最高のさとりを得るための原因とな説ると宣言する(第九六〜九七範。目ざめさせられた天女たちもまた、自ら魔界を去らないであろうことを魔王に告げるとともに、魔界も仏界も異ならないものであること、その不二であることを明らかにする(第二四節)。それは同一の真如、同一の空性にほかならいからである。
 このような種々の物語を織りまぜながら、経は「英雄的な行進の三昧」がなんであるかを明らかにしようとしている。これら一つ一つのエピソードは、きわめて意味深いものをわれわれに感じさせる。ただ、『維摩経』のように全体を一つの大きなドラマとしての構成にまとめあげるまでには、いたっていないというべきであろう。

首楞厳経

 最後に、中国仏教で『首楞厳経』というぱあいは、ここに訳出した本経ではなく、『大仏頂如来密因修証了義諸菩薩万行首楞厳経』10巻を指している。この経は盛んに研究され、注釈書も書かれ、わが国でも広く愛読された。しかし、現在の学界では、この経は中国製の偽経であると考えられており、内容も本経とはまったく異なっている。それに反して、インド製作のこの『首楞厳三昧経』は、9回も漢訳されたと伝えられ、ことにその羅什訳が現存するにもかかわらず、ほとんど研讃されたあとはなく、一つの注釈書も残されてはいない。偽経によって「首楞厳」の名が独占された形である。