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さんぷしん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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三不信

 曇鸞の『論註』に、「如実に修行せずして名義と相応せざる」ことの原因を、二不知と三不信に見出している。

 二不知とは「如来はこれ実相身、これ為物身と知らざ」ること。
 三不信とは、「一つには信心淳からず、存るが如く亡きが如くなる故に。二には信心一ならず、決定なきが故に。三には信心相続せず、余念を間るが故に。この三句展転して相い成ず」という。

 これら二不知・三不信をとりあげたことは、称名・憶念するには、必ず信仰の対象である阿弥陀仏に内証(実相身)と外相(為物身)の二つが具わっていることにたいする信知と、信心の淳厚・専一・相続という三種のあり方・信心のはこびの上に進めるべきことを示すためである。