操作

けんじ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

2025年3月3日 (月) 11:18時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (見思)

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

見思

「けんし」とも読む。

 見惑と思惑。見修二惑。見思惑(けんじのわく)

〔『四教儀註』上本42〕〔『八宗綱要』110〕などにある。

簡持

 簡去し持取すること。あるものをえらんで捨て(否定)、他のあるものを取る(肯定)こと。
 たとえば唯識の唯という語は、外界の事物(外境)の存在を否定し、識(心)のみの存在を肯定するから、唯には簡持の意味があるという。

 簡去境、持取心故、説簡持是唯義也。〔『成唯識論枢要』上本、T43.609b〕
 唯、謂、簡別、遮無外境。識、謂、能了詮、有内心。〔『成唯識論述記』1本、T43・229b〕
 頌中唯言、顕其二義。一簡別義、遮虚妄執、顕但有識、無心外境。〔〃1本、T43.239a〕