ゆう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
用
vRtti वृत्ति、kRtya कृत्य[倶舎論]、kriyaa क्रिया[瑜伽論](skt.)。ゆう。「よう」とは読まない点に注意が必要である。
中国仏教以降使われだした概念で、「はたらき」などの体の作用・現象の意味だと考えてよい。「体」と「用」の概念が仏教に由来するかどうかは不明確である。
生身の仏(釈迦)の場合、すでに釈迦は存在するので、釈迦自身が、無我ではあるが現実に存在しており(体)、その釈迦の言葉や行動が働きとしての「用」と言える。ところが、法身の仏の場合は、この関係が逆になる。さまざまな作用がわたし自身にはたらいている(用)ことを感得した時に、そのはたらきの主体を想定して(体)、それを法身として、その体に名を付けて「○○仏」とするのである。法身に関しては、「○○仏が××のはたらきをする」という言い方こそしているが、用の体を名づけているのだということを忘れてはならない。注意すべきである。
受用
paribhoga परिभॊग(skt.)
布施者が僧衆にさまざまなものを施し、僧衆がこれを受けて費やすことをいう。[中論 17.4]
同様の意味で、施されたものを「楽しむ」「享受する」ことをいう。