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らくよう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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洛陽

中国、河南省北西部の市。黄河の支流洛河の河谷盆地にある。
 北京西安開封などとともに「中国六大古都」の一つで、市内には竜門石窟や中国仏教の発祥地と伝えられる白馬寺、三国時代の英傑関羽の墓のある関林、各時代の故城などの古跡が数多く残っている。 [1]

歴史

 中国古代史の主要な舞台となった中原と関中平原とを結ぶ交通の要衝に位置し、西周時代の洛邑以来、政治や文化の一中心として栄えた。
 初めてここを国都としたのは東周で、その後、後漢、魏、西晋もここに都とした。北魏もまた大同から都をこの地に移し、さらに隋・唐時代には西都長安に対する東都として繁栄した。このあと、五代十国の後唐(こうとう)や後の中華民国も一時洛陽を都としたので、九朝の都とよばれている。

  • 東周、洛陽城は、現市街地西方の一角に位置し、漢魏洛陽城は東郊に、それぞれ遺跡を残している。
  • 北魏、493年に都を洛陽に移した。仏寺は1367を数えたと記録されているが、北魏末には兵火に焼かれ壊滅した。
  • 隋・唐時代、ふたたび漢・魏洛陽城の西方の地に大規模な都城を建設し、江南や華北の物資がここに集積され、大いに栄えた。発掘された含嘉倉(がんかそう)は、唐の地下穀倉群であり、400余基に上る巨大な穴倉(あなぐら)が発見されている。

 洛陽は、中国古代文化の中心地でもあり、漢代には史家の班固(はんこ)、紙の発明者蔡倫(さいりん)、名医華陀(かだ)などが活躍し、唐代には李白(りはく)、杜甫(とほ)、白居易(白楽天)がここで多くの名詩を残した。また、仏教の中心地でもあった。後唐以後、洛陽は一地方都市として衰微の一途をたどった。