空也
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
2008年1月25日 (金) 23:11時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (新しいページ: '=空也= 『こうや』とも読む。903(延喜3)-972(天禄3) 平安中期の念仏聖。名を光勝といい、「市聖(いちひじり)」「阿弥陀聖」な...')
空也
『こうや』とも読む。903(延喜3)-972(天禄3)
平安中期の念仏聖。名を光勝といい、「市聖(いちひじり)」「阿弥陀聖」などと呼ばれた。醍醐天皇の第5皇子とも伝えられる。
はじめ在俗の修行者として諸国を遊行(ゆぎょう)遍歴した。阿弥陀仏の名を唱えながら、各地で道を拓き、井戸や池を掘り、橋を架け、野原に遺棄された死骸を火葬にした。
20歳のころ尾張(愛知県)の国分寺で剃髪し、空也と名乗る。その後も諸国行脚(あんぎゃ)をつづけた。
938年(天慶1)、36歳のとき京都に移って、市中に乞食(こつじき)し、施物(せもつ)を貧民に与えるのを常とした。
948年(天暦2)、46歳のとき比叡山にのぼって、天台座主(ざす)の延昌について受戒し、以後貴族の外護も受けるようになった。
48歳のとき金泥般若経1部600巻の書写を発願し、14年をかけて完成している。
京都東山の西光寺(のちの六波羅蜜寺)で入滅。