そうとうしゅう
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曹洞宗
中国に起こった禅宗の一派。洞山と曹山とを開祖とするので「曹洞」と呼んだという説と、曹渓慧能と洞山によって「曹洞」とする説があるが、いずれにせよ開祖の名前からとって「曹洞宗」と言うようになった。
中国の曹洞宗
中国禅宗の五家七宗の一つ。南宗の青原行思・石頭希遷・雲巌曇晟の法系につながる洞山良价(とうざんりょうかい)の系統である。
この系統の天童如浄(にょじょう)に、道元が入宋して師事した。
日本の曹洞宗
1225年(南宋の宝慶1)、道元が如浄の元で得法した。
1227年(安貞1)道元、帰国。深草に興聖寺を開いた。
1243年(寛元1)波多野義重に請われて越前に移る。
1244年、永平寺を開き,曹洞禅の根本道場とした。
孤雲懐弉(えじょう)が永平寺2世となったが、3世徹通義介は加賀大乗寺に移り、4祖瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)は能登に総持寺を開いた。その門から峨山・明峰の2派が全国的に展開した。永平寺における只管打坐の純粋な道元の禅は、瑩山門下によって民衆化されていった。
永平寺、総持寺を両大本山とし、道元を高祖、瑩山を太祖、併せて両祖と尊称する。江戸時代には、「関三刹(かんさんせつ)」といわれる総寧寺・竜穏寺・大中寺を中心に本末関係が整えられた。