中国長安(陜西省西安府)にあった寺。唐の顕慶元年(656)高宗の勅によって工を起こし、同3年落成した。
規模はインドの祇園精舎の制に模したと伝えられる。 大徳50人を選んで住まわせ、道宣を上座、神泰を寺主、懐素を都維那に任じ、玄奘にこれらを監督させたという。のち、会昌の法難にあって廃絶した。
・大唐慈恩三蔵法師伝10 ・扶桑略記