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ボンきょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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ボン教

 チベットの古代4大部族の一つでシャンシュンに拠っていたム(dMu)部族の宗教。
 ム部族と通婚してのちにチベットの支配階級となったピヤ(Phyva)部族にも信奉され、彼らと通婚した四川の東女国ダン(sBrang)氏を通じてスムパ族のうちにも拡がった。今日のボン教は、9世紀末から11世紀はじめの混乱期以来、仏教にならって整理されたものであり、本来の姿は不完全ながら敦煌文献を通じて知られる。
 それらによると、ボン教はシェンと称して占をたて、招福除災の祭をした徒を併せて成りたったらしく、その開祖はシェンラプ・ミポ(最もすぐれたシェンである大人)と名づけられている。彼らは王の生命神クラ(sKubLa)に代表される生命神ラ(bLa)を祀って、現世の安寧を祈る。死者は、永遠の死の国にいる家族のもとに山羊に案内させ、馬に乗り、ヤクなどを従えて赴く、そのためにこれらの獣に因果をいい含めて殺す儀式を行なう。その役割が元来のシェンの職能でなかったかともいわれる。

 今日のボン教は、ニンマ派教義の影響下に広く土着の信仰もまとめたものとして成りたっている。