しょうさん
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正三
天正7-明暦元(1549-1655)
臨済宗の僧。三河の人。鈴木重次の子。通称を九太夫といい、正三はその名で、出家後も法名に用いた。玄々軒、石平道人と号する。徳川家康に仕え関ヶ原の戦、大坂冬・夏の陣などに出陣したが、元和6年(620)大愚について出家し、愚堂・雲居・物外らに参じた。諸国をめぐり、寛永元年(1624)三河の石平山に庵を結び、同9年仏殿を建てて恩真寺と号した。同18年天草代官となった弟の重成に同行、破吉利支丹を著わし32ヵ寺を創建・再建してキリシタンの影響を除こうとした。慶安元年(1648)江戸に出て四谷の重俊院や牛込の了心庵に住し、庶民に平易な布教を行った。その説く所は日常の職業生活に即した仏教的実践であり、仁王坐禅をすすめた。
著書
- 万民徳用 1巻、
- 麓草分 3巻
- 盲安杖 1巻
- 二人比丘尼 2巻、
- 念仏双紙 2巻
- 因果物語 3巻
など。