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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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闍那崛多

〈523 - 開皇20(600)か〉南北朝・随代の訳経家。インド北部の犍陀羅国の人。ジュニャーナグブタ(Jñānagupta)の音写。徳志・至徳・仏徳と訳す。

 本国の大林寺で出家し、27歳で師の闍若那跋達羅ら10人と共に西域を経て中国に向かった。北周の武成年間〈559-600〉長安に来て草堂寺に止した。
 ついで四天王寺を賜って訳経に従事した。建徳3年〈574〉北周の武帝の破仏の時、難を避けて突厥へ逃れた。
 武平6年〈575〉に、北斉僧の宝暹僧邃僧曇など10人と共に西域に経を求め、梵本260部を得た。随代になって高祖文帝に迎えられて洛陽の大興善寺に住し、達摩笈多らと共に訳経をつづけた。晩年事に因って東越(福建省)に流された。

  • 仏本行集経
  • 添品妙法蓮華経

など37部176巻を訳した。