upacāra (skt.)
仮に名称を設定して、説明する対象を指示する。
upacāraは、構成要素の集まりに対して比喩的に特定の表現を適用することで、そのような表現そのもの、あるいはまたその対象となる仮構存在を意味することもある。 『唯識三十頌』で、世親は、「自我と諸要素(法)の仮説」を論じて、いずれも比喩的、第二義的にそのように表現されるにすぎないことを論じている。第一義的には非存在であると説明している。