あきしのでら
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
2017年8月14日 (月) 16:05時点におけるマイコン坊主 (トーク | 投稿記録)による版 (ページの作成:「=秋篠寺= 奈良市秋篠町。阿陀縛山と号し、単立。光仁天皇の勅願により宝亀6年(775)に起工、同2年食封100戸が施入され...」)
秋篠寺
奈良市秋篠町。阿陀縛山と号し、単立。光仁天皇の勅願により宝亀6年(775)に起工、同2年食封100戸が施入され、善珠が開基に迎えられたという。承和5年(838)常暁が唐より帰朝すると、本寺ではじめて太元帥法(たいげんのほう)を行った。
その後保延元年(1135)兵火にかかり、平安末期以後寺領に関して西大寺とたびたび争った。中世以後は衰微した。はじめ法相宗中世には醍醐三宝院に属し、修験道場であった。