じゃくじょう
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寂静
涅槃寂静
upaśama: praśānta: praśānti: vyupaśama: śānta: śānti (S)
しずけさ。しずまったありよう。煩悩や苦が減して心がしずまったありよう。涅槃のありようを表す語。三法印の一つである「涅槃寂静」のなかの寂静(śānta)が代表的な用例である。
- 諸根は寂静なり
- 威儀は寂静なり
- 寂静にして美妙なる音声
- 貪愛を遠離して其の心は極めて寂静なり
- 有学の解脱を寂静と名づく
- 云何寂静。謂、従善法欲乃至一切菩提分法及所得果、皆名寂静。(職伽」13、大正30・345c)
- 復有三種寂静。一諸悪尋思不能擾故。二不為諸相所動乱故。三任運於内常喜楽故。(『玲伽j70、大正30・684c)
- 三苦永離故、名為寂静。(『玲伽』70、大正30.687b)
止観
pratisaṃlayana (S)
静かに沈思黙考すること。止観(奢摩他・毘鉢舎那)のありようをいう。
- 謂寂静者、即著摩他・毘鉢舎那。(職伽』25、大正30・420b)
聖者
沈黙した人、聖者のこと。原語muniは牟 尼と音写。→寂静業回muni
④仏の異名。回的nta (出典)契経説、仏亦梵、亦名寂静、亦名清 涼。(『倶舎」24、大正29.128b)
⑤九種の心住の一つ。→心住
⑥阿羅漢の次の四種の寂静。(i)苦寂静。 一切の汚れたありようがなくなってすべての 苦が永久に断滅した寂静。(ii)煩悩寂静。 貧愼癌などのすべての煩悩が断滅した寂静。 (iii)不損悩有情寂静。すべての煩悩を断じ 尽くしたことによって悪をなさず善を行なう ようになって人びとを悩まさない寂静。(iv) 捨寂静。見ても、聞いても、ないし、考えて も、喜ぶことも憂うこともなく、,L、が恒にか たむかない寂静。 (参考)(『玲伽』50、大正30・576c)