えたむしょう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
依他無性
依他起性と円成実性とは「有」であるというのが、法相宗の解釈であるが、ここでは依他起に有の意味と、無の意味とのあることをいう。遍計所執性が無であることは法相宗でもいうが、法相宗は依他・円成を有と見る。そして依他は事、円成は理と見るから、依他即円成とは見難い点がある(まったく見ないわけではない)。
終教で「依他無性即円成」というのは、依他起に無性と似有の二義があり、円成に不変と随縁の二義があると見るために、依他の無性がそのまま円成実性であるというのである。すなわち、依他起の諸法は縁生の仮有であるから、この点では依他起は似有であるが、しかし諸法の差別相の世界がそのまま真如であるから、真如に着目すれば、諸法の差別相はそのまま無である。これに対して、諸法の差別相と真如とを表裏の関係で見れば、表裏一体ではあるから、諸法の差別相(有)と真如(差別の無)とは同時に成立するが、しかし両者は表裏の関係にあるからあい触れないことになる。これは法相宗の見方である。これでは真如の円成実性と諸法の依他起性との間に通路が見出し難いのである。しかし終教では、依他起の諸法と真如の円成実とを同時同所に見るのである。