でし
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弟子
ziSya, antevaasika (skt.)
『大唐西域求法高僧伝』巻上の玄会法師の項に「尊者阿難陀室灑末田地」とある。「室灑」〈しっしゃ〉について
- 訳して所教となす。旧に弟子というは非なり
と割注してある。これは、一般に弟子といわれるものの原語がサンスクリットの「シシャ」〈ziSya〉であったことを示したものである。
この外に「アジャリの弟子、内住者」の意味をもつ「アンテーバーシカ」〈antevaasika〉も弟子と訳される。また、さらに、いわゆる声聞〈zraavaka〉も弟子を意味していることは明らかである。
さて、このように弟子といわれるものを言葉の上でみると、それらの言葉自身には、ことさら主従や上下関係をもって考えられる師と弟子という関係は認められない。このことは釈尊自身「世に六阿羅漢あり、予はその一人なり」といっておられることからも、わかるように共に道を求め、同一の悟りを開いた者と考えるのである。
しかし、内住、側住の意味は共に生活することであるが、一面そこに師と弟子の順序は考えられている。この考えが中国仏教では師弟という上下関係の中で理解されなかったとはいえない。この点から、中国の仏教者は仏教の真意は、そのような師弟関係を認めないことを種々弁明している。
たとえば、廬山の慧遠(334-416)は、『維摩経義記』第二本に経の弟子品の弟子を解釈して、
- 声聞、学は仏の後にあるが故に名けて弟となし、仏の化より生ずるが故に、また子と称す
という。すなわち、声聞は仏について学ぶもので、学問は仏の後にある。この点から弟という。しかも、仏の教化によって生じたものとして子というのであるというのである。したがって、そこでは仏にしたがって学び修行し、しかも、仏の教化によって生じた子のようなものだから、弟子というのであるという。
また、嘉祥大師吉蔵(549-623)は、同じく 『維摩経』の注釈の中で、
- 資の師を視ること父の如く、自ら処すること子の如し。師は資を視る弟となし、自ら処すること兄の如し、敬譲合論する。かるが故に弟子という
と、弟子を師資の敬譲合論による名であるとしているのである。
すなわち、弟子が師匠をみることは、あたかも父に接するが如くであり、自ら処することは、子の如くにふるまうべきである。また、師が弟子をみる時は、あたかも弟に接する如くにあるべきであり、自ら処するには兄の如くすべきであるというのである。このように師匠と弟子とは、相互に尊敬しあうべきであり、父子兄弟のようにふるまわねばならないといっているのである。
ここに示されるように、仏教では本来的に人間を悟るべきものとして、ここにいまあるととらまえるので、師と弟子を上下の関係や主従の関係ではとらえないのである。
親鸞は
- 親鸞は、弟子というものを一人ももたない。というのは、自分の力量で、ひとに念仏を称えさせるというのであれば、弟子ともいえよう。しかし、ただひとえにアミダのはたらきにうながされて、念仏している人を、自分の弟子であるなどというのは、まったく、とんでもないことである
といっている。ここには、共に仏によって救われ、仏にせしめられてゆくという、仏教の根本的な考え方が示されているのである。