りゅうもん
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
龍門石窟
河南省の古都、洛陽の南約12キロメートルにある伊水(いすい)河岸の山肌に広がる石窟。敦煌の莫高窟、大同の雲崗石窟と並ぶ中国三大石窟のひとつで、2000年にユネスコの世界文化遺産に登録された。
竣工は北魏の孝文帝が洛陽に遷都した493年前後。その後、東魏、西魏、北斉、北周、隋、唐までの約400年間、歴代王朝によって築造が続けられていった。蜂の巣状に広がる石窟の数は大小あわせて約2100以上、石刻像は約10万体におよぶ。
代表的な石窟は「奉先寺洞」「古陽洞」「賓陽洞」「薬方洞」など。龍門石窟のうち最大の石窟が「奉先寺洞」で唐代に造営されたもの。則天武后を模したとされる高さ約17メートルの廬遮那仏は仏教石刻の最高傑作と評されており、龍門石窟のシンボル的存在でもある。
「古陽洞」は龍門石窟の中で最古のもので、完成は499年頃とされる。「賓陽洞」は北、中、南の3つの洞に分かれていることから「賓陽三洞」とも呼ばれ、中洞には本尊である如来坐像が据えられている。「薬方洞」は、薬の調合方法が記されている珍しい石窟。
龍門石窟は「龍門二十品」と呼ばれる造像題銘記でも知られており、そこに記された芸術性の高い願文や由来文は中国書道の資料として重要視されている。