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どんむしん

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

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曇無讖

385年 - 433年。中国の訳経僧。中インド出身。サンスクリット名は「Dharmakṣema」。「どんむせん」とも読む。

 クチャ(亀茲)、敦煌を経て、北方民族匈奴の国、北涼(ほくりょう)に入った。北涼の都、姑臧(こぞう)で、河西(かさい)王沮渠蒙遜(そきょもうそん)の帰依を受け、諸経典の漢訳を遂行するかたわら、王の政治顧問ともなり、北涼の至宝と仰がれた。

 訳出経典のうち、とくに『大般涅槃経』40巻(法顕訳六巻本と対校してつくった36巻の南本に対して、北本とよぶ)は中国涅槃宗の興起を促し、また、『菩薩地持経』『瑜伽師地論』の一部、『金光明経』などは、後世の中国仏教に大きな影響を与えた。

 彼は433年(義和3)、『涅槃経』の後分にあたる原典を求めて西行を企て旅に出たが、その途中、怪しまれて蒙遜の刺客に殺された。

 仏伝の偈文として有名な『仏所行讃』を訳したことも有名である。