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いちじょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

一乗

サンスクリット語「eka-yāna」(一つの乗り物)の訳語で、乗(乗り物)は、人々を乗せて仏教の悟りに赴かせる教えをたとえていったものである。

 仏教にはさまざまな教えがあるが、いずれも仏が人々を導くための手段として説いたもので、真の教えはただ一つであり、その教えによってすべてのものが等しく仏になると説くことをいう。
 この主張はインドの初期大乗仏教において成立したもので、とくに『法華経』で強調されている。
 仏の教えは人々の資質や能力に応じて

  1. 声聞乗     仏弟子の乗り物
  2. 縁覚乗     ひとりで覚(さと)った者の乗り物
  3. 菩薩乗     大乗の求道(ぐどう)者の乗り物

の三乗に分けられるが、この三乗は一乗(=一仏乗(いちぶつじょう))に導くための方便にすぎず、究極的にはすべて真実なる一乗に帰すと説く。

 この一乗の思想は大乗仏教の精髄を示すものとして後代の仏教に大きな影響を与え、中国の天台宗華厳宗においてとくに重視された。

 一乗の語は、『法華経』方便品には「唯有一乗法無二亦無三」と述べて、二乗あるいは三乗というのは、一乗に導くためのてだてに過ぎないとし、『華厳経』明難品や『勝鬘経』一乗章にも仏は一乗を説き、一乗によって仏となることを説く。一乗は仏乗、一仏乗、一乗教、一乗究竟教、一乗法、一道などとともいい、一乗の教えを説く経を一乗の妙典、一乗の教えを信ずる者を一乗の機、その深く広いことを海に喩えて一乗海などと称し、一乗は大乗の最高の教えであるから一乗極唱という。
 三乗の語は『増一阿含経』45などの諸経論に見え、声聞乗を小乗・下乗。縁覚乗を辟支仏乗・独覚乗・中乗。菩薩乗を大乗・如来乗・上乗ともいい、三乗の教えを三乗教と言う。声聞・縁覚を二乗と言い、大乗をまったく信じえない二乗を愚法の二乗、心をひるがえして大乗に入る二乗を不愚法の二乗と言う。

阿含経

 『阿含経』には三乗の道を得ようとおもえば衆の中に求めよと言い、説一切有部などでは三乗の区別は忍位において定まり、声聞・縁覚・菩薩はそれぞれ四諦・十二因縁・六度を修めて解脱するが、得られる涅槃に相違はないと説く。
 大乗の中で、法相衆によれば、衆生にははじめから五性の区別があり、定性<ジョウショウ>声聞・定性縁覚・定性菩薩のものは三乗教によってそれぞれの果をさとり、ただ不定性のものは一乗の教えを受けて仏果を得ることができるとする。故に一乗教は不定性のものを誘うための仏のてだてに過ぎないとし、三乗真実・一定方便の立場を取る。
 これに対して天台宗や華厳宗では真の仏教は一乗のみであるとして一乗真実・三乗方便の立場を取る。また三論宗で三乗の中の菩薩乗を真実、二乗を方便とするが、天台宗や華厳宗では三乗のほかに仏乗があるとする。この法相宗や三論宗を三車家、華厳宗や天台宗を四車家というが、三車・四車の別は三乗と一乗との関係を『法華経』譬喩品の火宅内羊鹿牛の三車と門外大白牛車との関係解釈に関連させてつけた名である。

華厳宗

 華厳宗では、その究極的な教えである一乗円教を相対的差別の面と絶対的平等の面とから同教と別教(共教と不共教、方便乗と正乗)との二種一乗とし、同別の二を分けながら、同別無礙であるという。また同教一乗の体に一乗・三乗などの諸乗教があることを分諸乗、それらの諸乗教がすべて一乗であることを融本末とする。三乗を解するのに、すべてのものがみな仏になることを許さぬ教えを三乗とする通門の説と、事事無礙円融を説かぬすべての教えを三乗とする別門の説とがあるとし、また一乗・三乗を五種、三種などに分ける(法蔵の『華厳五教章』巻1など)。五種一乗とは別教一乗(超越絶対的な一乗。『華厳経』)・同教一乗(三乗に共通する内在的な一乗。『法華経』)・絶想一乗(はからいを超え直接に真理を体現する一乗。『維摩経』など)・仏性平等一乗(平等一乗ともいう。衆生はすべて仏性があり成仏すると説く一乗。『勝鬘経』・『涅槃経』など)・密意一乗(密義意一乗ともいう。三乗真実一乗方便の一乗。『解深密経』など)の5で、五教にあてると同別二教は円教、絶想は頓教、平等は終教、密意は始教となる。三種一乗とは、存三(密意一乗のこと)・遮三(『法華経』などのように三乗を廃遮する)・表体(『華厳経』のように大菩薩に一乗を直顕する)をいう。

天台宗

 天台宗では、『法華経』に基づき法華一乗を真実とするが、これを教行人理の四一(即ち教えも修行も修行者もさとる理もこの四がみな一である)として解する。智顗の『法華玄義』巻9下には、三乗と一乗との関係を10の面(迩門の十重〈→開廃会〉)から論じ、仮のものである三乗などの権〔方便)を否定して真実に帰する(泯権帰実)を説き、しかも実相の理に立って三乗のままが一乗に融合されるという。即ち、法華一乗の教えが説かれることにおいて声聞・縁覚の二乗が仏になる(二乗作仏)ことができるとす る。

浄土真宗

 真宗ではTYU:誓願一仏乗といって、阿弥陀仏の本願に帰することによってすべてのものが浄土に往生して仏になれるとし、自利のみを求める二乗種もそのままでは生まれられぬ(二乗種不生)が、自力の心をひるがえせば等しく往生して仏になるという。