一切諸法はそのまま真如であるから、真如が絶言であれば法界も絶言になる。界は区別の意味で、法の領域が種々に区別してあること。
法界に着目すれば言説できるが、真如の次元で見るから絶言となる。頓教は真如を発見し、みずから真如になりきった世界である。