かんやくぶっきょう

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漢訳仏典

インドから中央アジアを経て中国に伝わった仏教典籍は、当時の政権が中心となって国家事業として翻訳された。この事業は、2世紀後半から始まり、11世紀末までほぼ間断なく継続された。この翻訳事業が進むに連れて、訳語も整理され、編集スタイルも統一されることとなった。
しかし、国家事業としての翻訳以外にも、個人的に翻訳して国家に持ち込む僧もいた。大半は、仏教を伝えようとの意欲に燃えた業績であっただろうが、中には漢訳事業に登用されることを目的に持ち込んだものもあった。さらに、訳語の統一もなく、誤訳も多い。そこで、検閲の後、大蔵経などに入れられ欽定仏典とされた。

この漢訳作業には功罪があり、漢訳が終了した後、ほとんどの原典は焼却処分されたことは、もっとも大きな罪であったかもしれない。

さらに漢訳仏典は、宋の太祖・太宗の両朝、971年(開宝4)から983年(太平興国8)にかけて蜀で雕造され、国都の開封で印刷出版された。これによって一気に仏典は中国文明圏隅々に広まった。

漢訳された仏典の多くは、いわゆる小乗仏教経典は少なく、主に大乗仏教が中心であった。そこで大乗仏教も漢字文化圏とおおよそ重なる範囲に広がっていった。