きょうがい

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境界

gocara गोचर、viṣaya विषय (S)

 前六識によって知覚される対象のこと。gocaraやviṣayaなどの意味する原意は、感覚器官の能力の届く範囲、活動範囲のことである。

 中国では、仏教が入る以前から「領域」の意味で用いられており、仏教ではその意味も含めて「心の境地」という意味で用いられるようになった。

 仏、阿難に語りたまはく、「ときに世饒王仏、法蔵比丘に告げたまはく、「修行せんところのごときの荘厳の仏土、なんぢみづからまさに知るべし」と。比丘、仏にまうさく、「この義、弘深にしてわが境界にあらず。やや、願はくは世尊、広くために諸仏如来の浄土を敷演したまへ。われこれを聞きをはりて、まさに説のごとく修行して、所願を成満すべし」と。  〔無量寿経(上)〕

 これから転じて、日本では環境・境遇・前世の果報としての意味を持つようになった。

およそ三業、四儀に、仏の境界を忘るることなかれ     〔往生要集

自覚の境界

pratyātmagatigocara (S)

 (自内鉦の行境)。真理は他によって教えられるものではなく、みずから覚るべきものである、というのは楞伽経を一貫する主張である。したがって、「自覚之境界を説くべし」というのは、『楞伽経』の内容を一言で述べたものである。