しゃくまかえんろん
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釈摩訶衍論
10巻、T32, pp. 591-668
『大乗起信論』の註釈書であり、龍樹菩薩造、姚秦三蔵筏提摩多訳として伝えられているが、成立の問題に関しては、すでに781年に戒明によって日本に伝えられて以来、諸宗の学者の間において本論を偽撰であるとするものが多かった。
- 淡海の三船・尾張の賢憬・最澄等。凡そ賢宝の『宝冊鈔』第8の「釈摩訶衍論真偽事」(T77, pp.820-823)によって知り得る。
安然の『悉曇蔵』巻1 (T 84, pp.374)に、円仁が新羅僧珍聡の口説により、本論を新羅国大空山沙同月忠の撰としたことを伝えている(『東城伝灯目録』『法華玄義私記』第5末『成唯識論同学鈔』第2の4等もこれにならう)。このことは本論が高麗蔵に入蔵せられた事実から見て可能性が強い。また本論の諸呪中に則天文字に類するものがあり、現に近江の石山寺に武周時代の写本5巻(第1-5)が蔵されていることから見て、あるいは則天武后の時代に中国において成立したものかも知れない。おそらく7世紀から8世紀にかけて、中国あるいは朝鮮において成立したものであろう。
中国においては、宗密(780-841)の『円覚経略蔵齢』第19(縮刷大蔵経 経疏部、律10,39丁)にはじめて引用され,その後唐末から末代の学者によって註釈がなされている。
日本においては、空海が、とくに本論における不二摩訶衍の説・如義言説・一一心識の説等に注目し、真言所学論典に加えて以来、主として東密の学者によって研究・註釈がなされている。
研究書
- 望月信亨『大乗起信論の研究』註釈書解題 pp.234-256 (大正10年)
- 塩入亮忠『釈摩訶衍論解題』(国訳一切経 論集部4)
- 那須政隆「釈論所説の三十二法門に就いて」(智山学報7-8、昭和10年)
- 大山公淳「衆生について」(日仏年報20、昭和30年)
- 大山公淳「無明と覚」(密教文化32号、昭和31年)
- 大山公淳「釈摩河新論真偽問題」(『干潟博士古稀記念論文集』pp.455-468,昭和39年)