じゅほう
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
呪法
古代インド
古代インドにおいては、ヴェーダの最古のものである『リグ・ヴェーダ』においてすら、呪力を活用することによって何らかの効果をもたらそうとする呪法はかなり発達していた。
ヴェーダ聖典の背景には常に何らかの祭祀ないし儀礼が予想されるが、それらは古代インドにおいて呪法と深く関わりあい、むしろ不分離の関係にあるということができる。呪法は擬人化されたもろもろの神格の力を利用することによって、期待されることがらの実現を求めるというよりは、種々の植物や種々の品物ないし護符に相当するものを利用して、人間の生活をおびやかし、また、危害を与える諸要素の除去を願うというものが主流であると見られる。
古代インドにおける呪法を代表するものとしては『アタルヴァ・ヴェーダ』をあげることができる。このヴェーダは『リグ・ヴェーダ』、『サーマ・ヴェーダ』、『ヤジュル・ヴェーダ』に加えて、いわゆる4ヴェーダの末尾に列挙されるが、『アタルヴァ・ヴェーダ』が第四のヴェーダとなりえたのは、ヴェーダとして見るかぎり古いことではない。その理由の一つは『リグ・ヴェーダ』、『サーマ・ヴェーダ』、『ヤジュル・ヴェーダ』の3ヴェーダが、組織化され体系化されたヴェーダ祭祀というきわめて洗練されたレベルの祭祀を前提としていたのに対して、『アタルヴァ・ヴェーダ』はいわば民衆的レベルの呪法を基本としていたことであると考えられる。すなわち、呪法の占める位置は、ヴェーダの宗教において、当初さほど高いものではなかったことが推定される。
『アタルヴァ・ヴェーダ』の記す呪法はほぼ次のように分類される。
- 病魔を除去する治病法
- 健康維持と延命のための長寿法
- 神的なもの、あるいは人間を問わず、呪力を含む危険な要素をもって危害を与えるものを破壊する調伏法
- 男女間の愛情問題や子の誕生に関わる婦女法
- 対人的な調和融合をはかる和合法
- 王権の高揚や回復を求める国王法
- バラモンの権威増進をはかる法
- 繁栄の実現をはかる増益法
- 罪過的な要素を除去する贈罪法
ただし『アタルヴァ・ヴェーダ』には、これらの分類のいずれにも該当しない要素も含まれている。
『アタルヴァ・ヴェーダ』の背景となる呪法の例をあげれば次のごとくである。これは上記の婦女法に含まれるもので、流産のけがれを除去することを目的としている。その儀礼の詳細は、『アタルヴァ・ヴェーダ』所属の文献で家庭内で施行される儀礼を記した『カウシカ・スートラ』によって知ることができる。それによれば、流産した女性は黒い衣を着ける。儀礼は東西にそれぞれ入口のついた三戸の小屋で行なわれる。最も西側の小屋で祭火に対する献供が『アタルヴァ・ヴェーダ』第2巻第14章の讃歌とともになされ、水をいっぱいに満たした水盤に、献供の残りの融解したバターを注ぐ。パラーシャ樹の葉の上に鉛の片をおき、その上に献供の残りのバターを注ぐ。流産した女性は西側の戸口から入り、鉛の上にのぼる。儀礼の実行者は彼女に前記の水盤の水を注ぎ、彼女は着ている黒い衣をぬぎ、東側の戸口を通って外に出る。儀礼の実行者はその小屋に火をつけ、彼女が出たと同じ戸口を通って外に出る。東側の二つの小屋でも同じことがなされる。
なおとなえられる『アタルヴァ・ヴェーダ』の讃歌はニヒサーラーなどの女性名詞の邪悪な一群の要素の退散を願うものである。なお、古代インドの呪法はインド医学と無関係ではない。
仏教
仏教はその最初期の段階においてすら、呪法に対しては積極的にこれを是認しそして実行する立場はとられなかった。仏教の理想はあくまでさとりの実現、すなわちニルヴァーナの達成であると考えられたからである。
このような仏教における合理的側面とは別に、仏教内部の一般的レベルにおいては、現実の問題として呪法は多く行なわれていたと想定される。その実例は、パリッタと呼ばれる護呪や、サッチャキリヤー(真実語)のなかにも現われているし、特に古代インド仏教における治病行為にその典型が見られる。すなわち仏教文献のなかには、病気になった場合や毒蛇にかまれた場合に、薬を投与し、それによって治癒しない場合に、呪文(ヴィディヤー、マントラなど)によって治療するという例がしばしば発見される。
また、病気や多くの身体的障害が、悪魔などの、邪悪な呪力を帯びた神的な存在によって起こされると考えてそれを呪法によって除去しようとする例も見られ、これが、『アタルヴァ・ヴェーダ』における前述の治病法の流れをくむものであることも指摘されている。ただし、出家修行者が一般の人間に対して治病行為を行なうことは例が少なく、むしろこのことは禁止されていたものと想定される。
仏教において呪法が顕著に現われるのは密教においてであるといえよう。真言密教ではダーラニー(陀羅尼)と称する神秘的な呪句を用いる。これは「総持」と訳され、短い語句のなかに多くの意味を含めたもので、最初は記憶に便ならしめる手段であったものが、のちに災難を減じ、幸福を招く力をもつと考えられた。それは真実を述べる言葉であるがゆえに、そのような力をもつものとされた。すなわちそれは真言(真実言)だからである。仏教の合理的側面からすれば、密教の修行者がマンダラに入って心に仏陀を念じて精神統一し、口に真言をとなえて、手に印相を結び、仏陀と自己とが一体になって即身成仏を実現するという理想の一要素とされた。その反面に、護符などとあいまって呪法的な側面ももっている。真言はマントラ(心に考えていること。呪句)、ヴィディヤー(知識)とも称せられる。息災護摩などの種々の護摩も仏教的な呪法の例と見られよう。