(慶応3(1867)‐昭和27(1952))仏教学者。法相宗の僧。大和(現奈良県)の人。
明治9年(1876)、佐伯懐厳の養子となり、翌年法隆寺で得度、奈良教校に学んだ後、佐伯旭雅に師事して倶舎・唯識・因明などを修めた。ついで法相宗の学頭、勧学院長となり、明治36年法隆寺住職に就任、昭和24年同寺を聖徳宗の総本山とし、住職を辞した。この間、法相教学の再興と聖徳太子の讃仰に専念した。
など太子、法相学に関するものが多い