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せいたせんぶ

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

制多山部

(S) caitya-vāda、(P) cetiya-vādā、(T) bchod-rten-rihi-sde, or bchod-rten-pa。支提山部などとも書く。

 部派20部の一つ。制多山に住んでいるためこの名がある。『異部宗輪論』に

 第二百年満の時、一の出家の外道あり、邪を捨て正に帰し亦大天と名づく。大衆部の中に出家受具し多聞精進なり。制多山に居りて彼の部の僧と重ねて五事を詳にし、茲に因りて乖諍して分れて三部となる。一に制多山部、二に西山住部、三に北山住部なり

とある。
 また『三論玄義』には、

 二百年満に於て一の外道あり、大天と名づく。爾の時、摩伽陀國に優婆塞あり、大に佛法を弘む。諸の外道は利養の為の故に皆剃頭して出家し、便ち賊住の比丘あり、大天を賊住の主と為す。大天身自ら出家し、所度の弟子は大天の衆に依りて出家受戒す。爾の時衆人共に斯の事を諍ふ。上座部云はく、和上は無戒及び破戒なるも、闍梨に戒あり、大衆も亦戒あれば戒を受くるに則ち得す。戒は大衆に従って得す。大衆は和上の無戒なるを知りて而も共に戒を受けば、大衆は突吉羅罪を得す。問ふ、戒は既に和上に従って得せず、何故に和上の名を称するや。答ふ、受戒後和上をして弟子を摂録し教誨せしめんと欲するのみと。薩婆多は此の解を用ふ。余部は言はく、和上無戒及び破戒なれば、大衆戒あるも即ち戒を得せず、戒は和上に従って得するが故なりと。此の諍論に因りて遂に容れず、大天の徒衆は爾るに因りて別に山間に住す。此の山間に於て義を執すること又異あり、故に支提山部及び北山部あり。

とある。これは得戒に関する諍論によって分派したことを示している。

 この派の宗義に関しては『異部宗輪論』に

 諸の菩薩は悪趣を脱せず、窣堵波に於て供養の業を興すも大果を得ず。阿羅漢ありて、余の為に誘はる。此等の五事及び余の義門は所執多く大衆部の説に同じ。

とある。