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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 慈悲ではあるが、「慈(mettā)」は初期から経典に頻出するにもかかわらず、「悲」は後期にならないと出てこない。この点を注目する必要がある。

karuṇā

 慈悲、あわれみ。同情。あわれむ。〔倶舎論vol.29 〕

  • karuṇa (adj.)  tender; pathetic; pitiable.

      (m)   pity; compassion; pathetic sentiment, grief, sorrow.

  • karuṇā (f)   compassion, pity, tenderness.

 インド一般の文献においては「愛憐」「同情」「やさしさ」「あわれみ」「なさけ」を意味する。
 荻原雲来博士『梵和大辞典』によると、karuṇa という語は、形容詞として「悲しき」「哀れなる」または「憐れむ」「慈悲深き」という意味であり、漢訳仏典においては「悲、可悲、甚可悲、悲念、慈悲、愍哀、悲心」などと訳され、その名詞的用法の場合にはkaruṇāと同義である。karuṇāという語は一般のサンスクリット文献においては「哀憐」「同情」という意味である。
 例えば

 karuṇa eva ca karuṇā kṛpā duḥkhiteṣu dayā tadvān karuṇaḥ sarvabhūtābhayapradaḥ, saṃnyāsīty arthaḥ. 〔Śańkara ad bh G. XII, 13〕

漢訳仏典においては「悲」「大悲」「悲心」「大悲心」「悲感」「慈悲」「大慈大悲」「慈愍」「(深心)悲愍」「哀」「哀愍」「矜」などと訳されている。Samādhirājā p.3 の相当漢訳では mahākaruṇābhiyukta を「大悲相応」と訳している。
 さらにそのほかに、例えば、Bodhisattvabhūmi p.17, l.6の相当漢訳(玄奘訳)ではkaruṇāを「悲感」と訳し、p.90, l.17.の相当漢訳では karuṇāvihāra を「大悲住」と訳している。またkaruṇyaという語は、インドの詩歌または舞踊において慈感の情を表示する型であるが、それをも仏教徒は「慈悲」と訳している(榊亮三郎博士『翻訳名義大集』五○四二)。
 一般にシナの仏教徒はkaruṇāという一語だけでも、これを「慈悲」と訳している(荻原博士『梵漢辞典』CCXX、7.なお『楞伽経索引』によると宋訳)。『法華経』にある『大慈大悲、常無懈倦、恒求善事」(譬喩品)という文の原文は "mahākāruṇiko 'parikhinna-mānaso hitaiṣy anukampakaḥ"(荻原・土田両氏出版本 p.73)とあり、「以大慈悲如法 化世」(安楽行品)の原文は "dharmeṇa śāsām' imi sarvalokaṃ hitānukampī karuṇāyamānaḥ"(p.249)とある。
 羅什は十八不共仏法のうちの「大慈」を「大慈悲」と訳していることがある〔大智度論27、T25-256b〕。cf. karuṇāyate 〔Bodhis. p.369, l,14〕

avihiṃsā

 『十地経』には無悩害(avihiṃsā)とあるところを、『十住毘婆沙論』では「」と漢訳している。

「悲」とは、衆生に於いて憐愍し救護す。是のは漸漸に増長して大悲と成る。有る人言わく、菩薩の心に在るを名づけてと為し、悲の衆生に及ぶを名づけて大悲と為す、と。    〔十住毘婆沙論〕