じゅうじゅうびばしゃろん

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十住毘婆沙論

原名:「Daśabhūmi-vibhāṣa」「Daśabhūmika-vibhāṣa」か?
著作者:龍樹(Nāgārjuna、2-3c)
漢訳:鳩摩羅什(Kumārajīva、350-409年頃)

 姚秦の都、長安で鳩摩羅什が訳したと伝える漢訳一本のみが現存する。残念ながらサンスクリット原典も、チベット語訳も存在しない。漢訳本は大正新脩大蔵経第26巻に収められて、17巻35品となっている。

 題名の「十住」は、『華厳経』十地品(=『十地経』として別行)の異訳が『十住経』となっているように、大乗菩薩の修行階位である十地をさしている。「毘婆沙」とは、サンスクリット語「vibhāṣa」の音写で、「注解」という意味である。

 本書が『十地経』の注解であるとはじめて指摘したのは、賢首大師法蔵であった。『華厳経伝記』巻一に、

十住毘婆沙論一十六巻。龍樹所造。十地品の義を釈す。後秦の耶舎三蔵、其の文を口誦し、羅什法師と共に訳出す。十地品を釈する内、第二地に至り、余文は耶舎誦せざるを以って、遂に解釈を闕けり。相伝するに其の論は、是れ大不思議論中の一分なり。

と伝えている。
 これによると、『十住毘婆沙論』16巻は、仏陀耶舎(Buddhayaśas)が暗誦していた原文を口誦し、羅什と共同して訳出したものである。『華厳経』十地品の注釈であり、耶舎が口誦することを中止してしまったから、十地の内、初地と第二地とで終って後を欠いている、というのである。

 果たして本論が『十地経』の注釈か、法蔵の指摘に対し平川彰博士は疑義をはさんでいる。

十住毘婆沙論は、十地経の註釈としてはたしかに不完全であるが、しかし在家菩薩と出家菩薩との修行を説くという点から見れば、この論は完結した論とも見うる〈中略〉初地は多く在家菩薩の行法を説き、第二地は多く出家菩薩の行法を説くと解釈し、そのように解説している(『龍樹教学の研究』十住毘婆沙論における出家と在家 pp.145-146)

さらに、

十住毘婆沙論(十地経の註釈)と呼ばれているが、内容はむしろ独立の論書と言ってよいものである。有名な〈易行品〉なども、十地経の初地とは必ずしも関係がない。このように十住毘婆沙論を独立の論書と見ると、これで完結した内容を持っていると言いうるのであり、華厳経伝記の言う如く、第三地以後は耶舎が誦せなかったために、解釈を闕くという説には疑問がある。」(同 p.146)

といわれる。  平川博士の論によれば、『十住毘婆沙論』を『十地経』の注釈と見るべきではなく、独立の論書と考えるべきであろう。『十住毘婆沙論』は、「毘婆沙」という名が示すように、経の要説をまとめて注解したものであって、十地をはじめ、六波羅蜜、四功徳処、善と慧、方便、慈悲などの大乗菩薩道における要説をとりあげて注解し解説していこうとし、『十地経』の所説だけでなく、他の諸経典からも多く所説をとりあげている。
 『十住毘婆沙論』は、偈頌によって『十地経』をはじめ諸経典における所説の要点をまとめ、それに長行の釈(散文にょる注釈)がつけられた、と考えられる。

著者

 本論の著者を龍樹とするのは、いまだに学界において確定されていない。とくに『大智度論』との関係もあり、両書をともに龍樹の著作とすることは、内容から矛盾しており、同一人物の著作とは認められない、と主張されている。
 インド仏教において、本論を龍樹の著作とする伝承はなく、本論を依用したものもない。ただし月称(Cāndrakīrti、7c.)は『中論疏浄明句』(Prasannapadā)の末尾に中論讃(Madhyamakaśāstrastuti)を載せ、そこに龍樹の著作を列記して、その中に『経要集』(Sūtrasamuccaya)という題名がある。先述のように、本論書が『十地経』をはじめとする諸種の経典から大乗菩薩道についての要説をまとめたものと考えるなら、本論書はあるいはこの別名で伝えられていたのかも知れない。しかし、これにはたしかな根拠はない。

 現存する本論書のすべてを龍樹の著とすることはともかく、少なくとも本頌については龍樹の作とみなしてよいのではないかと考えられる。
 経録によると、『十住毘婆沙論』は『菩提資糧論』とともに併記され、一連の著作として見られていた。『菩薩資糧論』は龍樹の著作と考えてよいものであり、インド仏教の伝承でも確かめられる。よって、両書は同一の作者の作品とみなされていたか、同じような思想内容をもった論書であるとみられていた、と推測される。

組織と概要

 『十住毘婆沙論』は、35品に分かれている。
 序品第1は全体の総説であり、地相品第2から略行品第27までが初地における在家菩薩の行法、分別二地業道品第28から最後の戒報品第35までが第二地における出家菩薩の行法を説いている。
 入寺品第17の終りに「第二地の中には多く出家菩薩の所行を説く」といっているように、この論書では、第二地は出家菩薩の行法を明かすと見ているのである。初地は在家菩薩の行法とするが、同時に在家菩薩の立場に立ちながら出家の行法をなす「共行」も説き明かしている。よって初地においては、在家菩薩の行法と共行との二種の行法が説かれているとみて、入初地品第2から入寺品第17までが在家菩薩の行法を、共行品第18から略行品第27までが在家菩薩・出家菩薩の共行を説いているとする。これは入寺品第17の終りに、「在家・出家の菩薩の共行、今、当さに説くべし」とあることからも明らかである。また分別二地業道品第28以下が第二地における出家菩薩の行法を明かしていることは、第28品の最初に、「諸もろの菩薩はすでに初地を具足することを得て、第二地を得んと欲せば、当さに十種の心を生ずべし」と述べているから知られる。

 本論の組織は、序品が総説、入初地品第2から入寺品第17までの十六章では在家菩薩の行法、共行品第18から略行品第27までの十章は、在家と出家との菩薩の共行として行法(以上、初地)、分別二地業道品第28から戒報品第35までの八章が出家菩薩の行法(以上、第二地)となる。

序品

  • 造論の主旨をのべ、帰敬偈を注解しつつ、十地のこと、さらに菩薩のことを釈し、本論書全体の総論をのべる。


在家菩薩の行法

  • 入初地品第2 『十地経』の所説によって、十地の名称とその意味、十地をえる因縁である八法、初地である歓喜地の意義
  • 地相品第3 初歓喜地の特質である七相、必定の菩薩のこと
  • 浄地本第4 初地を浄治する行法としての二十七法
  • 釈願品第5 菩薩の十大願、浄土荘厳の十相

 次の六品は、『十地経』によらず、初期大乗経典の所説によって、菩薩道の思想と実践とについて説いている。

  • 発菩提心品第6 菩提心をおこす七つの因縁
  • 調伏心品第7 菩提心を発こすことを失う四法のさまざまをあげて論じている
  • 阿惟越致相品第8から分別功徳品第11は、阿惟越致(不退)に到る行法を説き、阿惟越致(不退)の菩薩と惟越致(退転)の菩薩とをあげて、不退の菩薩の行法を教示した後、信方便易行の法として、憶念称名の道をあげ、さらに懺悔・勧請・随喜・廻向の四法(四悔)によって不退に到る菩薩の道が示される。
  • 分別布施品第12は、菩薩における布施の行が慈悲心にもとづいていること、布施に浄と不浄とがあり、菩薩は浄施をなすべきこと、さらにこの浄施の功徳をことごとく菩提のために廻向すべきこと、布施の損減と増益などについて、『十地経』初地や『大集経』無尽意菩薩品などの所説によって説き明かす。
  • 分別法施品第13は、財施に対して法施を説き、法施こそ最高の布施であると讃え、智者はまさしく法施をなすべきであるとすすめる。

 次四品は、『大宝積経』郁伽長者会(郁伽長者経)によって在家菩薩の所行を説いている。

  • 帰命相品第14の「帰命」とは、仏・法・僧の三帰依を説く
  • 五戒品第15では、在家の法としての五戒を示し、これは自利利他の行であることを明かす
  • 知家過患品第16では菩薩は在家生活におけるさまざまの過患を知って、妻子への執着をすて、布施・持戒などの六波羅蜜の行に努めるべきことをすすめている。
  • 入寺品第17は、このように在家生活の過患を知って、塔寺に往詣し、塔を礼拝して説法を聞き、八斎戒を受け、出家生活がすぐれていることを思念することなどを説き明かしている。

共行

 共行品第18から略行品第27までの十品で在家・出家の共行が説かれる。「共行」とは、出家菩薩の行法を在家菩薩が実行することであり、在家菩薩が在家生活をいとなみながら出家菩薩の行法をも行なうことから「共行」と呼んでいる。この共行は、在家仏教ともいうべき大乗菩薩教団における特色であって、出家生活の優位性を認めながらも、在家と出家との相違区別を超える悟りの立場を示している。
 共行品以下の十品で説かれる共行は、頭陀行と念仏三昧とが中心となっている。

  • 共行品第18には、最初に、
問いて曰わく、汝言わく、当さに在家・出家の菩薩の共行の法を説くべし、と。今、これを説くべし。
答えて曰わく、忍辱、法施、法忍、思惟、法を曲げず、法を尊重する、法を障えず、法を供養する、信解  する、空を修する、貪嫉せず、所説に随って行ずる、燈明施、伎楽施、乗施、正願、摂法、思量して衆生を  利安する、一切に等心なる、此れは是れ在家・出家の共行の要法なり。

とあり、以下これらの内容を本頌に要略して示しながら解説し、ついで仏について三十二相を中心に説明する。

  • 四法品第19は、仏の三十二相をうる諸業は「慧を以って本と為す」が、この慧について、それを失う四法とそれを得る四法とをまず掲げて説明し、次いで善根を壊す旧法と善根を増益する四法、諂曲相の四法と直心相の四法、四種の敗壊菩薩の法と四種の調和菩薩の法、四種の菩薩の謬(誤り)と四種の菩薩の道、四種の像菩薩(=似菩薩)の法と初行の四功徳などをあげて、それぞれ前者の四法を捨てて後者の四法を実行すべきことをすすめ、さらに四広大蔵をはじめ、悪事をすて善事をなすさまざまな行業を四法ずつにまとめて説いている。この所説は主として大宝積経普明菩薩会によっているのである。
  • 念仏品第20は、善根功徳の力によって諸仏を眼前に見ることができるが、その他の方法として般舟三昧による見仏があるとし、その観仏の方法は具さに三十二相八十種好という仏の相好を観ずることであると説く。したがってここでいう念仏とは観仏のことである。この般舟三昧を行ずるに当って、その前提として頭陀行が行ぜられるとしているが、頭陀行は明らかに出家の行法である。ここの所説は般舟三昧経によっているが、この経の対告者である跋陀波羅(bhadrapaala 賢護と訳す)は在家菩薩であって、しかも頭陀行を実行している。ここに共行という意味がある。
  • 四十不共法品第21は、念仏品における観仏が三十二相・八十種好という仏の色身を観ずることであったが、四十不共法によって仏の法身を観ずることを説いている。四十不共法とは、六神通や十力をはじめとするすぐれた仏の功徳、すなわち仏の人格的な特性をまとめたものであって、身体的な特相で示される仏の色身に対して、これを法身と呼んでいる。なお、四十不共法品では、四十不共法のうち、はじめの九法が説明されている。
  • 四十不共法中難一切智人品第22四十不共法中善知不定品第23とは、四十不共法品につづくもので、第22品は一切智人であることを難ずることに答え、第23品は、四十不共法の第十、「善く不定の法を知る」以下の三十一法の不共法を説明しており、ともに第21品の補遺ともいうべきものである。
  • 讃仏品第24は、仏の功徳を讃えて念仏三昧を達成することを明かしている。助念仏三昧品第二十五はこの念仏三昧を助ける行法を説くが、はじめに「菩薩は応さに此の四十不共法を以って、諸仏の法身を念ずべし。仏は色身に非ざるが故に」と示し、つづいて色身にも法身にも著せざることを説きいましめている。いま念仏三昧のための行法には、諸種の四法、あるいは五法、さらに在家菩薩の二十法、出家菩薩の六十法などが示され、また般舟三昧の果報が説かれるのである。
  • 譬喩品第26は種々の譬喩をもって初地の特相である七法を明かす。
  • 略行品第27は初地の行をまとめて要約している。

 したがって、共行の説明は、助念仏三昧品までの八品で実質上終わっていることになる。平川博士は、この共行を説き明かす十品の主題について、

それは般舟三昧としての念仏三昧であるといってよい。そしてその根底に頭陀行があることが知られる。しかし頭陀行は第二地を解説するうちの解頭陀品(第三十二)に細説されているために、共行品では説明を略したのである」といい、つづいて「しかし念仏三昧については、共行を説くところで細説するため、第二地の説明をなす護戒品第三十一の中に。
初地の中に已に般舟三昧の見現在仏前三昧法を説きたり、所謂る三十二相・八十種好・四十不共法を以って  念仏するに、一切法において貪著する所なし。

と述べ、すでに初地で説明をなしているとして、離垢地では説明を略しているのである」(「十住毘婆沙論における出家と在家」p.177) といわれる。

出家菩薩の行法

 分別二地業道品第28から戒報品第35の八品は、十地経第二地「離垢地」の解説である。

  • 分別二地業道品第28は、まずはじめに第二地を得ようと欲するならば十心を生ぜよ、と説く。十心とは、(1)直心、(2)堪用心、(3)柔軟心、(4)降伏心、(5)寂滅心、(6)真妙心、(7)不雑心、(8)不貪心、(9)広快心、(10)大心のことであり、これを十方便心と呼んでいる。次いで十地経第二地の中心をなしている十善業道について説き明かしていくが、まず自らこれをなし、そののち衆生にこれをなさしめよ、と説き、果報を示してこの善法をすすめる。
  • 分別声聞辟支仏品第29は、十善業道は三乗のいずれにおいても大利あるものとされて、それぞれ実行されるものであるが、実践の仕方によって、声聞乗や辟支仏乗における修行道ともなり、また菩薩乗の実践道ともなるのであって、さらにまた人天における善法ともなる、と説いている。すなわち、「若し大悲心なくば、十善道は能く此の人をして声聞地に至らしむ。若し菩薩有りて諸仏に従って法を聞くに、大悲心有るを以っての故に、十善道は声聞地に至らしむること能わず」といい、また「三界を怖畏する者には、十善道は能く此の人をして声聞道に至らしむ。余の怖畏せざる者には人天の善処に生ぜしむ。三界を楽しむを以っての故に」といっている。このように大悲の心の有無や三界を怖畏するかしないかによって、十善業道は声聞の修行道における行法ともなるし、あるいは菩薩道における実践行ともなる。また人天の果報を生じる善法すなわち倫理的行ともなる、と明かしている。
  • 大乗品第30は、仏地に至らしめる実践である菩薩道としての十善道を説く。すなわち菩薩における十善道は自利利他の行であり、二乗・人天のあらゆる世間にすぐれたものであるのは、菩薩は五事を以って修するからである。五事とは、(1)願、(2)堅心、(3)深心、(4)善清浄、(5)五方便のことである。その他大悲無礙を成じ、善く方便を行じ、諸もろの苦悩を忍辱し、諸もろの衆生を捨てず、深く諸仏の慧を愛するなどによって十善道を行ずるゆえに、よく仏地に至らしむことを明かしている。
  • 護戒品第31は、十善業道の果報について、それぞれ総相と別相との二種を説き明かしている。総相の果報とは、人・天に生じること、別相の果報とは、不殺生の果報は長寿と少病であり、乃至、正見の果報は諂曲を離れることと所見清浄なることとである。さらに戒波羅蜜について解説するが、ここに六十五種の戒波羅蜜が説かれている。

 このように分別二地業道品から護戒品までの四品は、十善業道についての解説であって、十地経第二地「離垢地」の所説に対応している。なぜなら十地経第二地は十善業道のことを中心に据えて説いているからである。したがってこの品の本頌はほとんど十地経第二地の所説によって作られている。ただし一部は大宝積経普明菩薩会(迦葉品)や無尽意経によっているのであって、注目に価する。

 解頭陀品第32、助尸羅果品第33、讃戒品第34、戒報品第35の四品は、十地経第二地の所説によらず、本論独自の解説をしているところがある。解頭陀品はまさしくその例で、十二種の頭陀行を説明しているが、『十地経』にはその所説はない。しかも頭陀行は出家菩薩の行法とされているから、「第二地の中には多く出家菩薩の行法を説く」というのも、この点をさしていったものかとも考えられる。なぜなら、先述のとおり前四品は十善業道について解説しているが、十善業道はもともと在家菩薩の行法であるからである。

  • 解頭陀品第32は十二頭陀の行について解説するが、これは般舟三昧経や大宝積経郁伽長者会を参照して、本論書の独自の見解を示したものといえよう。十二頭陀の行とは、頭陀はサンスクリット語 dhuuta の音写で、もと「ふるい落とす」という意であり、煩悩の垢をふるい落として、衣食住に関して貪りをもたず、ひたすら仏道修行に専念することであり、これに十二種を数えているのである。十二頭陀行は、一般に糞掃衣・但三衣・常乞食・不作余食・一坐食・一端食・空間処・塚間坐・樹下坐・露地坐・堕坐・常坐不臥の十二種の生活規範を数え、これらはとくに出家者のためのものであるが、いまこの品では、常乞食・阿練若住・糞雑衣・一坐食・常坐不臥・食後不受非時飲食・但三衣・毳衣・随敷坐・樹下住・空地住・死人間住の十二を数えている。さらにこの十二頭陀行の一々に十利あることを示して説明しているのである。
  • 助尸羅果品第33は、戒を護持するための種々の助行を説いている。尸羅はサンスクリット語 ziila の音写で戒を意味する。ここには戒を浄める法として諸種の四法が示されているが、このようにして戒を護持するのは三宝を久住せしめるためであって、菩薩が戒を成就するならば十利をはじめ諸種の功徳があると示している。
  • 讃戒品第34は、戒をまもることを讃嘆し、喩えをもって持戒に種々の功徳があることを説いたものである。なおこの第三十四品は長行釈のみであって本頌は存在しない。
  • 戒雑品第35は持戒の果報をのべ、持戒の功徳力によって転輪聖王となることを示し、また衆生の所行における悪を転じて善となし、諸もろの三昧をえて諸仏を見、その世界に到ると結んでいる。この所説は十地経離垢地によっているのであって、十地経離垢地では、この地に住する菩薩はよく十善業道を行じて転輪聖王となり、出家するや直ちに千の三昧をえて千の諸仏を見ると説いている。

易行品と浄土教

 易行品第9は、古来浄土教において珍重されてきたが、それは北魏の曇鸞が著わした名著、『無量寿経優婆提舎願生偈註』(往生論註あるいは浄土論註)の開巻のはじめに、この易行品の所論によって難行道と易行道の教判を立てて浄土教の立場を闡明にしたからである。しかし易行品には易行道という名称はあるが、難行道ということばは見られない。
 この易行品は、『十地経』の所説とは直接に関係はなく、その所論は『大乗宝月童子問法経』に依拠し、さらに『般舟三昧経』や『無量寿経』にもよっている。前品の阿惟越致相品において、初地に入った菩薩の不退の相が示されたが、その不退に到る修道に易行の道はないのかという問いを出し、それに答えて憶念して仏名を称えるという易行の道を説いている。この易行品は『出三蔵記集』巻四失訳雑録の中に『初発意易行法』一巻とあって別行していたことを記し、また『隋衆経目録』巻五には前秦僧伽提婆訳『易行品諸仏名経』一巻とあるから、羅什が本論書を訳出する以前に、すでに易行品の別行本があったことが知られる。
 易行品は、易行の名が示すとおり、難行に対する易行を説いている。すなわち菩薩道の修行には惟越致退)と阿惟越致(不退)との2つがあって、菩薩が阿惟越致(不退)に到るためになす修行はけっして容易ではないと示し、そこで不退に到る易行の道はないのかと問いを出して、これに答えて信方便易行の道がある、と説く。信方便易行とは、仏を信じて一心に称名憶念することである。そうして具さに十方十仏をはじめ、諸仏諸菩薩の名をあげ、これら諸仏諸菩薩を恭敬礼拝しその名号を称えることによって不退に到ることを説いている。
 『国訳一切経』釈経論部7に収める十住毘婆沙論解題には、(1)難易二道、(2)十方十仏章、(3)十方諸仏(百七仏)章、(4)過未八仏章(過去七仏と弥勒)、(5)東方八仏章、(6)総三世仏章、(7)諸菩薩章(百四十三菩薩名)の讃嘆を挙げ、阿弥陀仏に対する讃嘆は(3)十方諸仏章の下に出ている、とする。真宗関係の諸学者は、(3)を十方諸仏章と阿弥陀仏章とに分けて八章に分科している。しかし易行品の本頌五偈を中心にこの品の内容を検討するなら、次のように分科してみるべきであろうと考える。

総   説‥‥難易二道
別   説‥‥十方十仏章
      ‥諸仏・諸菩薩章‥‥百七仏章
               ‥弥 陀 章
      ‥過未八仏章
      ‥東方八仏章
      ‥三世諸仏章
      ‥諸大菩薩章

 また国訳一切経の解題に、易行品の中で弥陀章が重要な地位を占めていることを論じて、

 易行一品は謂ゆる信仏の易行によって、すみやかに不退に入ることを説いたもので、顕わには諸仏菩薩に共通の易行道を示したものである。然るに諸仏菩薩を列挙せる各段中、弥陀以外の十仏あるいは八仏、あるいは百七仏等は、諸仏を合束して総讃しているに過ぎないが、阿弥陀仏のみは独立に別讃されていること、諸仏中にもとくに一仏別讃の偈頌があっても、すべて二十三偈を配せるに過ぎないのに、長行偈頌を通算して、最多の文字を以って広讃されているのは阿弥陀仏だけであること、阿弥陀仏にはとくに〈阿弥陀仏の本願は是の如し〉として、称名によって不退を得るとの本願が記されていること、諸仏は多く此土不退であるのに阿弥陀仏には往生不退を説いていることなどからして、易行品中、弥陀浄土教がいかに重要な地位を占めているかを語っている。これらの点に関して、真宗の学匠は諸仏と弥陀の対比上の六異、九異、十三異、十八異などを挙げている程である」といい、さらに「この一品に列挙された諸仏菩薩の名の出拠に関する研究は、仏教信仰史上すこぶる重要にしてかつ興味あるものである。(解題 p.4)

と指摘している。
 この易行品に出る百七仏のうち、最初の九十二仏はその順序を逆にすると、『無量寿経』のサンスクリット原本に出ている過去八十一仏と非常によく一致し、次の十一仏はほぼ同じサンスクリット原本の十四仏国の仏名とほぼ同じであることが指摘されている。
 また近年、東方八仏は『八吉祥経』(八仏名号経、八大菩薩経、八陽神呪経)に示されている仏名とほぼ同じであり、さらに末尾に出る百四十三名の大菩薩のうち、後の四十九名は『維摩経』の始めに出る諸大菩薩に非常によく一致することも指摘されている。

 易行品は信仏の易行によって不退に到る道を示しているが、ここで易行とは恭敬礼拝し名号を称えることである。近年の研究によると、初期大乗の先駆をなすと見られる『三品経』には、罪過を懺悔し、あらゆる善をよろこび(随喜)、仏の在世を請い説法を願い求めること(勧請)が説かれていて、この懺悔と随喜と勧請という三品の行が行なわれる礼仏の場所に諸仏を奉請するために誦せられた諸もろの仏名がまとめられて『仏名経』となったのであろう、といわれる。もしそうならば、易行品は、経録に易行品諸仏名経として別行していたことを記しているように、『仏名経』と深くかかわっているもの、あるいは仏名経について述べているものと見られていたのではないか、とも考えられる。
 易行品が浄土教において重要視されるようになったのは、先述のように北魏の曇鸞からであるが、法然はその著『選択集」の中では傍明浄土の論としてこれを正依の経論の中には収めていない。そのために浄土宗では、ほとんど易行品がとりあげられることはなかった。しかし浄土真宗では、親鸞が本論をとりあげ、主著『教行証文類』にも引用し重視していることもあって、宗学上の重要な論書として、とくに易行品はよく依用された。したがって易行品についての註釈書もほとんど真宗の学者に限られている。

参考文献

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  • 平川 彰  初期大乗仏教の研究     (春秋社、昭和41年)
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  • 静谷正雄  初期大乗仏教の成立過程   (百華苑、昭和49年)
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  • 同     入初地品以下八品の概要とその関連の上からみた易行品の位置 大谷学報35-3
  • 同     十住毘婆沙論に対する試攷―難易二道について― 大谷学報36-1
  • 同     信解空法と易行品の展開    大谷学報37-2
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  • 同     十住毘婆沙論に於ける如来の名義釈 大谷学報34-3
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  • 藤堂恭俊  十住毘婆沙論漢訳攷      知恩院仏教文化研究3
  • 同     易行思想とその展開      印仏研3-1
  • 平川 彰  大乗戒と十善道        印仏研8-2
  • 同     大乗戒と菩薩戒経『福井博士頌寿記念東洋思想論集』(福井博土頌寿記念論文集刊行会、昭和35年)所収
  • 同     地の思想の発達と三乗共通の十地 印仏研13-2
  • 同     十住毘婆沙論の著者について   印仏研5-2
  • 同     十住毘婆沙論における在家と出家『龍樹教学の研究』(大蔵出版、昭和58年)所収
  • 色井秀譲  龍樹教学と般舟三昧       印仏研3-1
  • 釈舎幸紀  十住毘婆沙論に於ける菩薩行   印仏研15-2
  • 同     十住毘婆沙論における在家菩薩の性格 龍谷大学仏教文化紀要6
  • 田上太秀  智度論・十住論における作仏と済度衆生との実践関係について 印仏研18-1
  • 望月良晃  郁伽長者経にあらわれた菩薩の宗教生活 印仏研12-2
  • 八力広喜  ナーガールジュナと浄土思想   印度哲学仏教学2号
  • 同     十住毘婆沙論における迦薬品の引用 同3号
  • 同     十住毘婆沙論における般若経の引用 北海道武蔵女子短期大学紀要21号
  • 同     十住毘婆沙論における菩薩思想成立の背景『藤田宏達博土還暦記念論集 インド哲学と仏教』(平楽寺書店、平成1年)所収
  • 同     十住毘婆沙論における般舟三昧経の引用 印度哲学仏教学6号
  • 同     十住毘婆沙論と十地経      印仏研40-2
  • 同     十住毘婆沙論と菩提資糧論    印度哲学仏教学7号
  • 同     十住毘婆沙論所引の原始経典   印仏研41-2
  • 川崎信定  十住毘婆沙論の難一切智人    壬生台舜編『龍樹教学の研究』(大蔵出版、昭和58年)所収