ぶっきょうしゃ
出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』
仏教徒
インドの仏教者たちは、本来、出家して苦行する「沙門」であり、乞食して歩く「比丘」であり、ひっそりと黙して修行する「牟尼」であった。
やがて僧院に定住するようになってからも、仏陀の言葉とされてきた阿含経典を伝承・増広し、それらにもとづいて修行実践し、そこにおいておこってきた哲学的な諸問題について、微に入り細を穿って議論するひとぴとであった。しかし、いつのころからか、在家のひとぴとに、教訓的な物語とか仏陀の伝記のざまざまな場面などについて説法することを専門とするひとぴとが出てくる。彼らは、とくに仏陀が降誕し、成道し、法輪を転じ、浬藥した聖地において、その地にゆかりの仏伝や物語を説法していたであろうし、インド各地に仏塔がつくられるようになってからは、仏塔を中心とする礼拝儀礼を行なうとともに、さまざまな仏伝や物語を説法していたであろう。
そのような仏伝や物語の最古にして最重要な資料は、紀元前2世紀ごろのバルハットの仏塔の彫刻であるという。干潟龍祥博士によれば、現存するだけでも40以上の物語図が、一つ一つ円形のかこみに入れて浮き彫りにされている。それらのうち、約半数の物語図に、「鹿本生」「六牙象本生」「一角仙人本生」などというように、「本生」再異国の題銘が刻まれている。このころまでにはすでに、元来、婆羅門たちが伝えてきた物語や苦行者たちが伝えてきた物語が、仏教にとりいれられ、本生物語として説かれはじめているのである。すなわち、それらの鹿や象などのヒーローがいまここの仏塔にもいます仏陀の本生、すなわち過去世の生であったと物語られるのである。そこからして、鹿に生まれたり象に生まれたりしてはてしなく輪廻転生するけれども、衆生を救うためにあっぱれな行ないをつんで、ついには菩提をさとって仏になるであろうという「菩薩」の思想が成立してくる。
この「菩薩」が、鹿も「菩薩」であり、象も「菩薩」であることによって、それらのヒーローたちのいわば「共同体」でもあることに注意しておきたい。なお、リューダースなどによれば、入胎、降誕、成道、転法輪、舎衛城の神変、涅槃などの仏伝の諸場面も浮き彫りにされているが、上述の本生物語が、これらの仏伝とどのように関連するか、まだ十分にはつまびらかでない。