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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

釈尊がなぜ出家されたのか

 この問題が解かれなくては、仏教が本来目的とすることが不明瞭になるのではないか。

 摩耶夫人がアシタ仙に体内の太子が、転輪王となるか仏と成ることを告げられて

 当に皇子は転輪王となられるであらうといふを聞いて喜ばず、一切種智を成ぜられるであらうといふを聞いて大いに歓喜せられた。

という逸話から、摩耶夫人ご自身の願いというものが見え隠れするのではないか。

 転輪聖王になられるよりは、必ず成仏して一切種智を成じて広く人天を済度せられるであらう

という叙述は、太子の高い宗教的人格を持っていたことを物語るものであるかもしれない。

 太子が15歳の時、父王シュッドーダナ王が所有する農田に於いて耕転祭をとり行うために、太子と共に百僚を連れて式に臨まれる。その時、太子は農夫の鍬によって小虫が掘り起され、さらにその小虫が一羽の小鳥についばまれるのを見て、深く世の姿を憂い悲しみ、閻浮樹の下で静座思惟を凝らされた、と伝えられている。
 この物語は、太子がいかに多感的であったかを示している。鍬の先に傷つけられた小虫、さらに小鳥についばまれた小虫に対する憐愍であり、それはついばんだ小鳥に対する憎悪などではない。後に経典が「衆生可愍、相互呑食」と言われるように、自己の生存をはかるためには、他のものの生命をも奪わなくてはならない、という生物相互の呑食の相が、太子の感受性に反応したのである。
 人間にとって生命がもっとも大事であると同時に、他の生物にとっても生命がもっとも大事である。しかし、他の生命を奪わなければ、人間は自己の生命を保つことができない。この現実、生物相互間の呑食の相は、多感な太子にとって堪えられない苦と感じたのである。しかも、この苦観の中に、徹底した自己批判があることを容易に知りうるであろう。

 また、太子の母、摩耶夫人が生後7日目に亡くなったことが、後年の厭世の根本になったという説もある。しかし、生母の妹、プラジャパティに育てられ、養母に対する尊敬と思慕は、初めての女性出家者を許した事実からも、世にいう母の死が出家の根本原因だとは考えにくい。
 さらに、太子の