操作

トーク

りんね

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 明治時代、西洋近代文明を尺度とした開化、啓蒙運動が展開された。そのなかで、迷信 打破の運動も活発になった。それはそれなりに意義もあったが、仏教界にあっては、内か らは廃仏毀釈の凄まじい破壊活動にさらされ、外からは圧倒的な力をもつ西洋近代文明の 精神的な支柱であったキリスト教の影に怯え、あらぬ方向で過激になりすぎるということ もあった。
 仏教界における迷信打破運動の矛先のひとつは、輪廻思想に向けられた。死んだら何か に生まれ変わるというのは非科学的であり、地獄や極楽など、誰も見たことのないものが あるとする根拠は何もない。翻ってみれば、あの偉大なお釈迦様(ゴータマ・ブッダ)が、 そのような下劣な世の俗信を採用されたはずはない。輪廻思想は、仏滅後、お釈迦様の真 意が理解できなくなった仏教徒たちが、大衆に迎合するために採り入れたのだ。
 このように、最初期のゴータマ・ブッダの仏教は、輪廻思想を否定した、いやむしろ、 輪廻思想を否定したところに仏教の斬新さがあったのだという見解が、ほかならぬ仏教学 者たちからさかんに表明されるようになった。
 もっとも、明治時代、仏教学者のほとんどは僧籍にあったから、輪廻思想を迷信だと論 じた仏教学者たちも、輪廻思想を前提にして成り立っている各宗派の宗学から猛烈な反発 を喰らい、そのような主張をする人は急速に少なくなっていき、ついには誰もそのような 問題に触れることがないようになった。
 しかし、仏教は本来、輪廻思想を否定するものだったという考えは、日本の知識人(こ の語の響き、限りなく不快)たちの頭にかなり深く刻み込まれ、今日に至っている。たと えば、キリスト教神学で有名な高尾利数氏はその著書『ブッダとは誰か』(柏書房)のな かで、『スッタニパータ』などでゴータマ・ブッダが「輪廻的な生存がなくなった」(正確 には「為すべきことは為し終えた。後有(生まれ変わっての新たな生存)はない」)と語っ ているこの文言こそ、ゴータマ・ブッダが輪廻思想を認めていなかった証拠だといってい る。
 これは仰天ものなのである。「輪廻的な生存がなくなった」というのは、修行を完成し たために、ついに輪廻転生からの最終的な解脱にいたった、という宣言なのであり、輪廻 思想を前提としなければありえない内容なのである。ということは、仏教史を無視し、は るか後世の大乗仏教中観派の空思想を最初期仏教のなかに強引に読承込む高尾氏の頭のな かには、端からゴータマ・ブッダは輪廻思想を認めなかったという強い思いこみがあり、 ごく簡単な経典の文言すらもまともに読めなくなっているということである。まこと無責 任極まりないとしかいいようがない。
 二○○○年代になってからも『日本佛教學會年報』に、比較的若い仏教学者が、仏教は、 本来、輪廻思想を否定したという見解を発表した。内容を読んで驚いた。因果応報、業報 という考えを解しないあるヨーロッパの学者(仏教学が専門ではない)が、仏教と輪廻思 想は関係がないかもしれないとちらりと述べたのを最大限の拠り所とし、最初期の仏教は 輪廻思想を否定したと談じているのである。
 この論文は、こういう論文を書いてはいけないという、見本のような論文なのである。 この若手の学者の論の組み立てはこうである。すなわち、ゴータマ・ブッダは輪廻思想を 否定した。どのように成立の古い仏典であれ、輪廻思想を前提とした文言は、すべて後世 の仏教徒による増広(追加挿入)の産物である、というのである。
 これはもう、天から降ってきたご託宣ともいうべきしろものである。このご託宣の前に あっては、ゴータマ・ブッダが輪廻思想を前提としていたと、いくら文献学的な証拠をも とにして論じてみても、まったく無駄なのである。そのような証拠となる文献学的な証拠 は、すべて後世による追加挿入だというのであるから、いかんともしがたい。「わたくし の説は絶対的に正しい。わたくしの説に反する仏典の文言は、すべて後世の追加挿入にな るものだからである」とは、本当に恐れ入る。
 日本の仏教学者の最大の問題点のひとつは、彼らが、インドに生まれた仏教を、インド 思想のなかで捉える努力をほとんどせず、仏教に始まり仏教に終わる研究に専心し、その ため、樹を見て森を見ずの状態にいることである。内側からばかり見て外から見ることが なければ、井の中の蛙大海を知らず、なのである。蛙が井の中しか知らずに幸せな一生を 過ごせたならば、それはそれで結構なことである。しかし、それは一介の生活者には認め られても、学者に認められることではない。およそ学者たらんとする者は、いくら非力で あっても、大海のごく一端でも垣間見ようと奮励努力しなければならない。
 ということで、わたくしたちは、仏教が誕生したとぎ、その土壌となるインド思想界が どのようなものであったか、というところから出発しなければならない。そう考えたとき、 何をおいても重要なのは、輪廻思想でしかありえない。輪廻思想が成立してこそ、解脱へ のあこがれが生まれ、出家という独特の生活形態をもつ一群の人々が登場するようになる からである。いうまでもなく、ゴータマ・ブッダは世俗人ではなく、出家となって道を切 り開いた人である。
 輪廻転生、生類は死んでは何かに生まれ変わり、また死んではまた何かに生まれ変わる ということを、放って置けば永遠に繰り返すのだという死生観は、枯れた(死んだ)穀類 が残した種からまた季節が巡れば新しく芽が出る(「一粒の麦もし死なずぱ」)という実体 験を切実に生きる農耕民族が抱いて不思議のない死生観である。
 ブッダとほぼ同じ時代、同じ地域でジャイナ教を興したヴァルダマーナという人物がい る。かれは、別にニガンタ・ナータプッタとも呼ばれている。「ニガンタ派に属するナー タ家の子息」という意味である。ニガンタ(離繋)派は相当古くから輪廻転生という死生 観の上に立っていた。この派の伝統の中で、ヴァルダマーナは二十四代目の救世主(ティ ールタンカラ)とされる。「ティールタンカラ」とは、「渡し舟の渡し場を築く人」の意で ある。ブッダが、修行について、迷いと苦しみばかりのこちら岸(此岸)からそれらがま ったくない平安の彼岸へと、ブッダの教えという筏を操って激流の大河を渡ることである というイメージを描いたのも、恐らく紀元前二千年代に繁栄を誇ったインダス文明期にま で遡れるニガンタ派(ジャイナ教)の発想をそっくり受け継いだと見てよい。
 ただ、文献に見えるものとして最初といえる体系的な輪廻説は、西暦紀元前8世紀ごろ に現れ、まずは五火説、二道説として展開された。二つの説は、祭官を特徴的な職業とし、 ヴェーダ聖典の文言を自在に操る技能ゆえに社会の最上級に立ったバラモン階級が主宰す る「ヴェーダの宗教」(あるいは俗に「バラモン教」)で編まれた『ジャイミニーヤ・ブラ ーフマナ』(前9世紀ごろ)に出てくるのが文献としては最初だとされるが、より整然と した形では、ほとんど時代的に隔たりがないころに成立した最初期のウパニシャッド『チ ャーンドーギャ・ウパニシャッド』と『ブリハッドァーラニャカ・ウパニシャッド』に記 されている。以下、『チャーンドーギャ・ウパニシャッド』第五章の、問題となる個所を 見ておくことにする。

あの世がいつぱいにならないわけ

 まず、第三節では、五火説と二道説とが説かれるにいたった経緯が述べられる。 ここで注目されるのは、輪廻説が、アーリヤ文化の中心的な担い手であるバラモン階級 によってではなく、王族であるクシャットリヤ階級によって説かれるということである。 ある頃から、インド社会は祭官を主たる職業とするバラモン階級、武をもって世を統治す るクシャットリャ階級。商工農に従事する庶民階級(ヴァイシャ)、そしてそれら三階級 に奉仕するシュードラ階級という階級制が固定されていった。
 クシャットリヤ階級は、土着の非アーリヤ的な宗教的要素を、バラモン階級よりもはる かに先に摂取していたのである。素朴な輪廻説が、非アーリャ先住民族のあいだでかなり 古くから伝えられていたことは、独自の輪廻説と解脱説を説くジャイナ教の伝承によって ほぼ確かなことと考えられる。

 この五火説は、祭式における祭火への献供になぞらえて、死んだ者がどのような経路を たどってまたこの世に生まれ変わるのかを説明したものである。多少イメージしにくいと ころもあるとはいえ、これを要約すれば、死んで火葬に付された者は、いったんソーマ王 (つまり月)へと赴き、雨となって地上に降り、植物に吸収されて穀物などといった食物 となり、それを食べた男の精子となり、女の胎内に注ぎ込まれて胎児となり、かくしてま たこの世に誕生するというサイクルで輪廻するということを述べているのである。

 このように、祖霊たちの道は輪廻の道であり、神々の道は解脱の道である。つまり、輪 廻の道を考えるということは、とりもなおさず解脱の道を考えるということでもあった。 ちな承に、『カウシータキ・ウパニシャッド』という古いウパニシャッド文献では、 神々の道の行程が、より詳しく説かれている。
 それには、「人間ならざる人物」によって案内された人々は、いくつもの神々の世界を 通過し、最終的にブラフマンの世界に至る、そして、ブラフマンの世界は光に満ちあふれ、 最高級のベッドがあり、などと、その楽園ぶりが美しく描写されている。

仏典に見られる五火二道説

 以上の最初期の輪廻説が、後の天道・人間道・阿修羅道・畜生道・餓鬼道・地獄道を数 える六道(あるいは阿修羅なる生き物を除いた五趣)輪廻説へと、どのように変遷していっ たのかはよくわかっていない。しかし、じつは、初期仏教の古い経典においても、この五 火二道説と見なしうるものが散見される。たとえば、主にブッダの言葉からなる聖典『ス ッタニパータ』にはつぎのようにある。


139 彼は神々の道、塵汚れを離れた大道を登って、欲や貧りを離れて、ブラフマンの世界に赴くものとなった。〔賎しい〕生まれも、彼が梵天の世界に生まれることを妨げなかった。
508 〔マーガ青年の問い〕『誰が清らかとなり、解脱するのですか。誰が縛せられるのですか。何によってみずから梵天の世界にいたるのですか。聖者よ、おたずねしますが、わたくしは知らないのですから、告げてください。師よ、わたくしは今、梵天を目の当たりにしたのです。まことにあなたはわれわれの梵天に等しいお方だからです。光輝ある人よ、どうしたならば梵天の世界にうまれるのでしょうか』
509 師は答えた。『マーガよ、三種よりなる安全な祭祀を実行するそのような人は、施与を受けるべき人びとを喜ばしめる。施しの求めに応ずる人がこのように正しく祭祀を行うならば、梵天の世界にうまれる、と、わたくしは説く』と(中村元訳『ブッダのことばスッタニパータ』岩波文庫)

 ここに「神々の道」とあるのは、まさにウパニシャッドの二道説でいう神々の道にほか ならない。また、この神々の道をたどってブラフマンの世界に赴くというのも、ウパニシ ャッドの記述と合致する。(興味深いことに、「プラフマとという語が、ウパニシャッドで は宇宙の根本原理を意味するのにたいして、ここでは、宇宙創造神である梵天を指している。)

〔ブッダがかんがえたこと 宮本啓一〕