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にじょう

出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

二乗

声聞乗(しょうもんじょう)、縁覚乗(えんがくじょう)の二つ。

 「乗」とは乗物の意味で、声聞縁覚の人びと、あるいはかれらの立場を意味する。二乗は、現世に対する執着を断った聖者(阿羅漢(arhat अर्हत्))ではあるが、現実逃避的、自己中心的であり、利他を忘れたものとして、大乗仏教から「小乗」と称された。
 直接「小乗」と名指しで非難されたのは、西北インドに勢力を有した説一切有部(せついっさいうぶ)や犢子部(とくしぶ)などのいくつかの部派であったようである。大智度論では、小乗と呼ばれた彼らは大願も大慈大悲もなく、一切の功徳も求めようとせず、ただ老病死の苦から脱することのみを求めるとされている。
 二乗の者は地獄にさえ堕ちないと言われることがある。これは、地獄に堕ちた者はふたたび生まれ変わって大乗の教えに回入するかもしれないが、地獄に堕ちない者はふたたび仏の教えに逢うことはないので、成仏することはないということで、二乗は仏になれないと非難されているのである。

  • 大乗と小乗とを二乗と呼ぶこともある。

大智度論』では、「仏乗」「声聞乗」の二つの名前で「二乗」と呼んでいる。

  菩薩爲菩提  乃至未不退  譬如燃頭衣  應作是勤行
 菩薩は、さとりのために、乃至、不退に至らざる間、たとえば頭衣を燃やすように、まさしく勤行すべきである。〔菩提資糧論3・15、T32-0527b〕
  未生大悲忍  雖得不退轉  菩薩猶有死  以起放逸故
 いまだ大悲と忍を生じないうちは、たとえ不退転を得ていても、菩薩はなお死がある。放逸を起こす事があるからである。〔菩提資糧論3-17、T32, 0527c〕
  声聞独覚地  若入便為死  以断於菩薩  諸所解知根 〔菩提資糧論3-18、T32, 527c〕
 声聞独覚の階梯にすぐさま入るのを死と為す。菩薩の解知すべきところと根を断つことになってしまうから。
  •  『菩提資糧論』での龍樹の説明で、なぜ大乗で「声聞・辟支仏」が退けられるかが明確になる。声聞・辟支仏は、涅槃に到達してしまい、仏陀となって人々を救う利他行を行わないからである。利他行を行う者を菩薩と呼び、仏陀になるというのである。