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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

 
(剃髪)
 
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 3世紀中頃に成立した牟子(ぼうし)『理惑論(りわくろん)』に
 
 3世紀中頃に成立した牟子(ぼうし)『理惑論(りわくろん)』に
:孝経に言わく、身体髪膚、これを父母に受く、敢て毀傷せずと。…今の沙門の剃頭、何ぞ聖人の語に違い、孝子の道に合わざるや
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 孝経に言わく、身体髪膚、これを父母に受く、敢て毀傷せずと。…今の沙門の剃頭、何ぞ聖人の語に違い、孝子の道に合わざるや
 
とあり、中国の仏教受容期に中国固有の文化がインドの異質な文化と接触した時の摩擦の具体的な一例として、この習俗が取り上げられていることが知られる。
 
とあり、中国の仏教受容期に中国固有の文化がインドの異質な文化と接触した時の摩擦の具体的な一例として、この習俗が取り上げられていることが知られる。

2021年5月31日 (月) 19:07時点における最新版

剃髪

 頭髪や髭(ひげ)を剃ることで、「落髪」「落飾(らくしょく)」などともいう。

 髪や髭は飾りであるから、出家して仏道に入る時に、すべての虚飾を去る意味でこれを剃る。古くはインドの出家修行者の習俗であったが仏教に採り入れられ、中国に仏教が伝わった時にこの習俗が儒教の説く「孝(こう)」の徳目と抵触(ていしょく)することになった。

 3世紀中頃に成立した牟子(ぼうし)『理惑論(りわくろん)』に

 孝経に言わく、身体髪膚、これを父母に受く、敢て毀傷せずと。…今の沙門の剃頭、何ぞ聖人の語に違い、孝子の道に合わざるや

とあり、中国の仏教受容期に中国固有の文化がインドの異質な文化と接触した時の摩擦の具体的な一例として、この習俗が取り上げられていることが知られる。