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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(阿那含)
 
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=阿那含=
 
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[[サンスクリット]]の anaagaamin अनागामिन् の音写。[[ふげん|不還]]と訳される。
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[[サンスクリット]]の <big>anāgāmin अनागामिन्</big> の音写。[[ふげん|不還]]・[[ふらい|不来]]と訳される。
  
元来は「かえって来ない」という意味。[[あごんきょう|阿含経]]で修行の段階を、特定の結果に向いつつある段階(=向)とその結果を得た段階(=果)とに分け、すべてを16段階([[しこうしか|四向四果]])に数えるが、阿那含果もしくは不還果を得ると、再び[[よっかい|欲界]](欲望の世界)に戻ることがないとされる。
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 元来は「かえって来ない」という意味。[[あごんきょう|阿含経]]で修行の段階を、特定の結果に向いつつある段階(=向)とその結果を得た段階(=果)とに分け、すべてを16段階([[しこうしか|四向四果]])に数えるが、阿那含果もしくは不還果を得ると、再び[[よっかい|欲界]](欲望の世界)に戻ることがないとされる。
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 もう迷いの世界にもどって来ない、の意。欲界の煩悩を断じ尽くした聖者の名。<br>
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 仏教以前の古ウパニシャッドにおいてブラフマンの真理をさとった人は、この世にもはやもどって来ないといわれていたのを受け継いだのである。<br>
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 仏教一般としては、この聖者は未来において色界・無色界に生まれ、欲界には再び生まれて来ないので、不還という。
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この果を'''阿那含果'''(不還果)といい、[[しょうもん|声聞]]四果の第三位であって、この果を得ようと修行する位を、阿那含向という。
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 不還たる[[しょうごん|精勤]]。聖道を得た人が諸有に[[えこう|廻向]]する場合に二種あるが、その中の一つ。一方が願の力(praṇidhāna-vaśa)によるのに対して、この場合は不還たる精勤の力によって行ずる者をさす。漢訳長行中には「阿那含人」と訳す。

2021年8月1日 (日) 13:22時点における最新版

阿那含

サンスクリットanāgāmin अनागामिन् の音写。不還不来と訳される。

 元来は「かえって来ない」という意味。阿含経で修行の段階を、特定の結果に向いつつある段階(=向)とその結果を得た段階(=果)とに分け、すべてを16段階(四向四果)に数えるが、阿那含果もしくは不還果を得ると、再び欲界(欲望の世界)に戻ることがないとされる。

 もう迷いの世界にもどって来ない、の意。欲界の煩悩を断じ尽くした聖者の名。
 仏教以前の古ウパニシャッドにおいてブラフマンの真理をさとった人は、この世にもはやもどって来ないといわれていたのを受け継いだのである。
 仏教一般としては、この聖者は未来において色界・無色界に生まれ、欲界には再び生まれて来ないので、不還という。 この果を阿那含果(不還果)といい、声聞四果の第三位であって、この果を得ようと修行する位を、阿那含向という。


 不還たる精勤。聖道を得た人が諸有に廻向する場合に二種あるが、その中の一つ。一方が願の力(praṇidhāna-vaśa)によるのに対して、この場合は不還たる精勤の力によって行ずる者をさす。漢訳長行中には「阿那含人」と訳す。