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出典: フリー仏教百科事典『ウィキダルマ(WikiDharma)』

(十智)
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;6 滅智(nirodhajñāna):滅諦にある煩悩を断じる智。
 
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;7 道智(mārga-jñāna):道諦にある煩悩を断じる智。
 
;7 道智(mārga-jñāna):道諦にある煩悩を断じる智。
;8 尽智(kṣaya-jñāna):一切の煩悩を滅尽したところにおこる智。無学位の聖者が「我れすでに苦を知り、我れすでに集を断じ、我れすでに減を証し、我れすでに道を修す」と自覚する智。有頂地において苦諦と集諦とを観察しておこす智。
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;8 [[じんち|尽智]](kṣaya-jñāna):一切の煩悩を滅尽したところにおこる智。無学位の聖者が「我れすでに苦を知り、我れすでに集を断じ、我れすでに減を証し、我れすでに道を修す」と自覚する智。有頂地において苦諦と集諦とを観察しておこす智。
 
;9 [[むしょうち|無生智]](anutpāda-jñāna):有頂地の無学の聖者が四諦を完全に証しおえて「我れすでに苦を知る、更に知るべからず、乃至、我れすでに道を修す、更に修すべからず」と自覚する智。
 
;9 [[むしょうち|無生智]](anutpāda-jñāna):有頂地の無学の聖者が四諦を完全に証しおえて「我れすでに苦を知る、更に知るべからず、乃至、我れすでに道を修す、更に修すべからず」と自覚する智。
 
;10 他心智(paracitta-jñāna):他者の心を観察してその善悪・邪正などをしる智。
 
;10 他心智(paracitta-jñāna):他者の心を観察してその善悪・邪正などをしる智。

2021年8月3日 (火) 16:10時点における最新版

十智

 「」を10種類に分類したもの。 〔『倶舎』26、T29-134c以下〕〔『瑜伽』81、T30-751b〕〔『瑜伽』69、T30-680c~681a〕

1 世俗智(saṃvṛti-jñāna)
真理をさとっていない世俗の人が世俗の事象を対象としておこす智。
2 法智(dharma-jñāna)
存在するもの(法)の真理を証する智。欲界の四諦を対象としておこす智。
3 類智(anvaya-jñāna)
法智に類似する智。色界と無色界の四諦を対象としておこす智。種類智ともいう。
4 苦智(duḥkha-jñāna)
苦諦にある煩悩を断じる智。
5 集智(samudaya-jñāna)
集諦にある煩悩を断じる智。
6 滅智(nirodhajñāna)
滅諦にある煩悩を断じる智。
7 道智(mārga-jñāna)
道諦にある煩悩を断じる智。
8 尽智(kṣaya-jñāna)
一切の煩悩を滅尽したところにおこる智。無学位の聖者が「我れすでに苦を知り、我れすでに集を断じ、我れすでに減を証し、我れすでに道を修す」と自覚する智。有頂地において苦諦と集諦とを観察しておこす智。
9 無生智(anutpāda-jñāna)
有頂地の無学の聖者が四諦を完全に証しおえて「我れすでに苦を知る、更に知るべからず、乃至、我れすでに道を修す、更に修すべからず」と自覚する智。
10 他心智(paracitta-jñāna)
他者の心を観察してその善悪・邪正などをしる智。